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<無錫シリーズ>錫劇「梅派」を作り上げた梅蘭珍(前半)

2012-06-27 09:18:31     cri    


























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 お聞いただていますのは中国地方劇の一つ‧錫劇(無錫の錫に劇と書く)の女形役者・梅蘭珍女史の代表作「真珠塔」です。錫劇の「梅派」を作り上げた86歳の梅蘭珍女史は今年3月2日、突然この世を去りました。彼女の一生は多くの素晴らしい作品を残しました。

 梅蘭珍女史は1927年1月11日、中国東部の江蘇省武進に生まれ、その父親は当時、錫劇の有名な道化役(どうけやく)で、母親は一番有名な女役でした。梅蘭珍女史は小さいころから、両親に連れられて、あちこちを回っていました。錫劇研究所の銭恵栄さんは、「梅蘭珍女史の両親が出演する時に、彼女を屋根の窪んだところに置きます。高く設けた舞台から低い農家の屋根にいる彼女を、その両親がみとどけることができるからです」と話しました。

 

 錫劇は無錫の方言で表現する地方劇で、「無錫灘簧」とも呼ばれます。江南農村の短調から変化してきた錫劇は江蘇、浙江、上海などの地域で大きな影響力を持ち、「太湖にある一本の梅の花」といわれるほどです。

 梅蘭珍女史が7歳のころ、初舞台に出ました。当時、劇場で「唐伯虎点秋香」という劇が上演しており、彼女は石榴という小娘に扮しました。銭恵栄さんは、「椅子が高いので、当時の彼女は他人の手伝いがなければ、座ることができません。観客は彼女を好きになっています。彼女はさまざまな短調を歌えます」と話しました。

 その後、梅蘭珍女史は自らの演劇活動をスタートし、様々の劇で小役に扮していました。その父親の友人は梅蘭珍さんが優れた声を持っているため、京劇を勉強するよう進言しました。父親は、京劇がスケールの大きい劇で、さまざまなルールもあると思って、かつての有名な京劇俳優の専属の楽器伴奏者を招いて、彼女を教えました。

 

 梅蘭珍女史は約1年かけて、20あまりの演目を覚えました。ある京劇のアマチュア俳優の推薦を受けて、彼女は無錫の「大世界」劇場の京劇「群芳会」の「小さなアマチュア女優」となりました。「大世界」劇場が当時、無錫の重要な娯楽施設の一つであり、各流派の劇がここで演出され、これがため、梅蘭珍女史は各流派の優れたところを覚え、後に錫劇「梅派」の創造に基礎を作ったと言われます。

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