この9月3日は抗日戦争勝利65周年記念日にあたります。これに先立ち、CRI・中国国際放送局は抗日戦争を経験した90歳高齢の蒋術さんにインタビューしました。そこでこの時間は蒋術さんのお話をかいつまんでご紹介しましょう。
第二次世界大戦が終了しこれまで65年が経ち、戦争を経験した人は残り少なくなりました。65年前の記憶が不確かな部分が多いものの、戦争が勝利したと知らされた夜のことは、昨日のことのように覚えていると蒋さんは、「そのとき、我々若い軍人たちは誰一人寝ようとするものはいなかった。一晩中歓声を上げて過ごした。喜びの余り椅子やテーブルを壊して火をつけて祝ったものだ」と話し始めました。
蒋さんはほかの多くの若者と同じように、勉学を中断し軍隊に入ったのです。最初は病院で働き、のちに士官になり、広報担当係りとなりました。戦場での経験はありませんでしたが、病院自体もしばしば敵側の空爆の標的とされ、危険な環境で生きのびて来たのです。そして蒋さんは、「当時は、『勝利しなければ故郷へ帰らない。勝利しなければ嫁はもらわない』という約束の言葉が流行っていた」といっています
そして抗日戦争勝利直後の1945年の11月に、蒋さんはようやく長年付き合っていた女性と結婚しました。勝利の日を待つと約束した2人は6年たってこの日をやっと迎えたのです。その後、蒋さんは軍隊を離れて再び大学に戻り、卒業後は上海に定住しました。5年前の抗日戦争勝利60周年のとき、蒋さん夫婦は上海市政府から60本のバラを贈られ、勝利60周年、そして結婚60周年の祝福を受けたのです。
蒋さんによると、65年前の戦争で一番深く記憶に残るのは民族が生き延びるために戦おうと多くの中国人を励ましてくれたある歌だったということで、これについて蒋さんは、「それは『義勇軍行進曲』だった。前線も後方も、共産党も国民党も、みんなこの歌を歌っていた。特に最後の『敵の砲火をついて進め、進め、進め、進め』という歌詞に大いに励まされた」と話しています。
1987年、上海盧湾区の政治協商会議の委員だった蒋さんは自分の体験を基に、この歌の歌詞をしっかりと理解しなければ国を真に愛し、敵の侵略に抵抗するという強い精神力を理解できない、国歌となった「義勇軍行進曲」をただ演奏するのではなくしっかり心に刻むよう上海市政府に提案しました。
蒋さんはこれまで歴史事件の編集に携わりながら、戦争に対する回想文の執筆にも力を入れてきました。記者のインタビューの最後に、蒋さんは再び『義勇軍行進曲』に触れ、「いざ立ち上がれ 隷属を望まぬ人々よ!・・・・中華民族に迫り来る最大の危機・・・・。実はいま、もう最大の危機が迫る時期ではなくなっているが、努力するこの精神を忘れてはならない。過去の苦難の歴史を忘れてはならない。我々の民族はこの歌に励まされて、いつまでも前に進んで行くべきだ。常に危険に備えて常に警鐘を鳴らして・・・・・」とこのように話していたのです。
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