現地に住む秦徳標(73歳)さんによりますと、抗日戦争時代この辺りには野戦病院が設置され、宜昌市防衛戦で負傷した兵士が治療を受けていたということです。多数の負傷者を抱えた上に、医療条件が厳しかったため、多くの負傷者が犠牲となりました。当時抗日戦争に参加した兵士の記憶によりますと、国民党75軍予備第4師の3000人あまりの犠牲者がここに埋蔵されたということです。更に、これを裏付ける記述も残っています。(翻訳:イツゴウ)
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