北京放送局桜贈呈奮闘記
記憶は確かではありませんが、最初の北京放送局との出会いは確か1991年9月28日から10月7日まで、長野県中国語学習訪中団として、中国へは2回目の訪中の時でした。第一回目は銀行に勤務しておりました54歳の時、1988年長野県民(経済界代表)訪中団の一員として中国の大地に第一歩をしるし、以来30回目になろうとしておりますが、訪中するたびに貴国の発展振りに目を見はるばかりです。街の景観や百貨店従業員の接客態度、道路事情、服装などなど大きく変わりました。
あれから18年もたちました。その時の北京空港は狭くて薄暗くて、これが中国の国際空港かとちょっと首を傾げましたが、現在の空港内は明るく清潔感があり、隔世の感があります。また、空港から市街地までの道路は、ポプラ並木に囲まれた土ぼこりの道にて荷馬車との往来も今では大変懐かしく、現在の高速道路とは所要時間的にも、これまた隔世の感があります。
交通事情ですが、18年前は自転車が主流でしたが、現在は自動車が明らかに増え、北京滞在中よく自動車の洪水に遭い、そして、タクシーは多く、色も変わり新車が目立つようになりました。町の中も、ホテルの新改築が特に目に付き、また、王府井通りも一新され一層の賑わいを呈しています。ただ残念に思うのは、都市建設により胡同(四合院)が少なくなってきており、昨年10月の訪中の時に、日本語部の曙光さん、藍暁芹さんを初め男性3名の方に案内していただき、胡同めぐりをしてきました。これは北京特有のもので、しかも中国的な風情があり、是非残していただきたいと願っている一人です。
私は、長野県北京放送を聞く会または長野中国語を学ぶ会にて訪中する場合、必ず北京放送局を訪問させていただき、2003年度までに9回以上お伺いしたと記憶しています。
北京放送局とのかかわりあいでいろいろと懐かしい思い出がありますが、その中で特に思い出に残ることは、なんと申しましても丁度今から10年前の1996年5月に北京放送局が復興門外から石景山区へ移転を記念して新局舎へ桜の苗木20本を持参して大変喜んでいただいたことです。これには色々エピソードと言いますか困難が伴います。10年が経ち時効になったと勝手に解釈してお話します。今は懐かしい限りです。
まず一点は、桜の苗木20本を贈呈したいと打診しましたところ、当時の張振作局長より「感謝信」の快諾を戴きましたが、5月の植樹には活着率をよくするために前年の秋から準備が必要で、苗木が3月に芽が出ないように冷凍保存が必要であり、群馬県の業者に依頼し訪中の前日に受け取ることになっておりました。しかし、放送局との話あいの中で、4月に入り日本政府の燻蒸消毒の証明書がなければ中国への持ち込みは不可能との連絡が入り、その証明書を出していただくには、3ヶ月の日数が必要であることが判明し、放送局の方でも民間の消毒した証明書で何とかならないかと各方面と交渉され、また、植樹当日とあわせその後の管理を農学博士3名の方に依頼済みとのことでしたが、燻蒸消毒の施設及び時間的に不可能である状況の中、訪中直前に放送局から電話が入り、今回は残念ながら諦めましょう、農学博士の方も断りましたからとの連絡を受けましたので、分かりましたとは言ったものの、諦めるわけにもいかず、もって行くだけは持っていこうと変な決心をしました。とにかくも新局舎の庭に植えたい一心で、一応長野市の民間園芸業者にベンレート消毒をしていただき、訪中前日に苗木の根を枯れないように水苔で包みに荷造りを終了。その間、成田空港検疫所へ照会と説明をし、成田空港への持込許可を受けましたが、回答では北京空港では没収されるでしょうと言われました。また、群馬県から送られた苗木の高さが2M近くあり、持ち運びに不便であり、1.05Mに長野の業者に切っていただきましたが、「桜切るばか、梅切らぬばか」と昔から言われており、中国での活着が心配でもありました。
二点目のエピソードは、出発当日(4月28日)成田空港へ到着し受け付けカウンターへ行ったところ、某事務局長が手違いにて我々訪中団員19名全員がキャンセルとなっており、飛行機に乗ることができないことが判明し、全員途方にくれるばかりで、依頼した旅行業者は日曜日であり連絡が取れず某事務局長は放心しているばかりでしたが、"地獄に仏"とよく言われますが、たまたま私の知り合いの旅行業者の方と空港内で出くわし、北京空港ではわれわれを出迎えて、待機しているので、どうしても当初予定の飛行機に3?4名でも乗りたい旨、事情を説明し空港と交渉していただき、ビジネスクラスが3席が空いていると言うことで、私を含め3名が機上の人となることができましたが、残る16名は空港ホテルに一泊し翌日北京に来ることになりました。私たちの北京に行きたい、放送局に行き植樹をしたい一心が神に通じたのでしょう。
3名が北京空港に到着後、早速放送局に電話を入れましたところ、宿直の林濤さんと思っていますが電話口に出ていただきましたが、なんとか悪戦苦闘しながらも税関を通過できた旨報告をしましたところびっくりされ、早速空港に来ていただき苗木をお渡ししました。
5月3日の植樹(式典)には天候にも恵まれ、張振華局長には業務多忙のところわれわれと一緒に植樹をされ、式典では日中双方の出席者の紹介、日中双方の代表者の挨拶、原山会長のメッセージを小生が代読、その後局舎内を見学しながら、放送機材の更新などでいまだ完全に引越しができないとのお話を聞きながら、局内を見学させていただきました。団員一同が良い思いでと、日中の架け橋が一つ増えたことを感動して実感したしだいであります。
現在この20本の桜は大木までは行かないが中木になり、毎年綺麗な花を咲かせ、北京放送の方々が毎年お花見を楽しみにしておるとのこと、どうか日本の田舎の市民をいつまでも花を見るたびに思い出していただければ望外の喜びです。
|