北京
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磺廠村石窟
中国北部の山西省太原市磺廠村でこのほど、南北朝期の北朝の最初の王朝である北魏(386~534年)の後期の石窟が発見されました。時代については、5つの王朝が成立した北朝(439~581年)では、北魏以降の王朝の存続期間が短かったので、北朝全体の後半に開削された石窟でもあります。考古学者の研究によると、これは太原市の領域で最も早く開削された石窟の一つだったとのことです。
この石窟は磺廠村の北側の山の山腹にあり、南に向いていて長さ、幅、高さはいずれも1メートルほどです。石窟内部の3面の石壁にはそれぞれ仏壇が施されています。それぞれの石壁に彫刻された仏像がまとっている服装と帯は鮮明で、北魏の孝文帝の改革様式に合致しています。都が洛陽に移された後の石窟彫像芸術は漢民族化していき、南朝の士大夫の風格になっていきました。発見された石窟の、中から外に向かって右側の壁(西壁)には弥勒菩薩の坐像があり、これは北魏末期の様式です。
この石窟を調査した山西大学歴史文化学院の劉勇特任研究員によれば、太原山西文化区には中古時期の仏教遺跡が非常に多く、うち天龍山石窟、龍山石窟、童子寺などが最も有名です。これらの有名な石窟寺院の周辺には数多くの小型の石窟や彫像があります。例えば天龍山の近くの福慧寺石窟や懸瓮山石窟、龍山石窟周辺の瓦竈村石窟、姑姑洞石窟、石門寺石窟、蒙山周辺の石荘頭石窟などです。磺廠村石窟は時代の特徴が鮮明で、開削されたのは北魏延昌3年(公元514年)と分かるなど、多くの情報が得られました。磺廠村石窟の発見は、考古学界の太原山西石窟地域の豊富さについての認識をさらに広げ、山西石窟寺の研究に新たな時間座標を提供してくれると見られています。(Lin、鈴木)
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