北京
PM2.577
23/19
中国でこのほどドキュメンタリー映画「リスボン丸沈没」が上映され、82年前に起きた旧日本軍の捕虜輸送船「リスボン丸」の沈没事件を扱った映画が再び人々の注目を集めています。沈没事件の生存者は、中国漁民の必死の救出のおかげで生還できたと感謝の意を示しています。
もともと貨物船だった「リスボン丸」は、1940年に旧日本軍に徴用され、1942年9月27日、1800人以上の英軍捕虜を乗せて香港を出発し、日本に向かいました。当時日本軍はジュネーブ条約に違反し、船に捕虜を運ぶことを示す旗や標識を掲げておらず、船には火砲も装備されていたことから、10月1日中国浙江省舟山諸島沖を航行中に、日本軍の兵員輸送船と誤解した米軍は、同船に向けて魚雷を発射しました。同船は被弾後、乗っていた日本軍と重要物資はすべて救援に駆け付けた日本の軍艦に移されましたが、英軍捕虜が収容されていた船倉は日本軍により木の棒で封鎖されていました。中国の島に向けて泳いでいくのが唯一の活路となり、捕虜らはハッチを突き破り、生きるために海に飛び込みました。
誰かが海に落ちたという情報はすぐに近くの青浜島と廟子湖島に伝わり、漁民らはほぼ全員出動し、命懸けで大救出を展開し、最終的に384人の英軍捕虜を救出しました。
生存者の一人、デニス・モリーさんは生前、取材に応じ「日本人が発砲し続けているにもかかわらず、漁民らは捕虜を救出するため続々と出て来た。漁民らが救出に来たため、日本軍は初めて射撃をやめた。日本軍は捕虜を殺害したという情報が世界中に広まることを恐れていたからだ。こうして私たちは助かった」と語りました。(Mou、榊原)
KANKAN特集