北京
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今年は秦始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)兵馬俑発掘から50周年に当たります。「秦始皇帝陵考古発見展」がこのほど、中国北西部の陝西省西安市にある秦始皇帝陵博物院で始まりました。秦始皇帝陵の考古学的調査の成果が集中的に展示されたのは初めてだということです。
△石製の甲冑
秦始皇帝兵馬俑坑遺跡常設展の補足として、この展覧会では秦始皇帝陵に対する考古学的調査の成果を基に、230点(セット)の文化財が展示されています。これらの文化財はいずれもこの50年間の考古学的調査で見つかった代表的な逸品で、そのうちの多くは初めてのお披露目となっています。
この展覧会は秦始皇帝、麗山で陵をなす、皇室庭園、宮廷娯楽など八つの部門に分かれており、鎧(よろい)を身にまとった高級軍吏俑、青銅水鳥、金と銀をはめ込んだ楽府鐘、秦両詔文銅権などが展示されており、秦始皇帝陵「地下王国」の多彩さを十分に表しています。
うち、両詔文中空銅権は十七面体であり、本体には秦王政26年と秦二世元年の度量衡の統一に関する二つの勅文が刻まれており、秦が全国を統一した後、租税、貨幣、土地制度などを確立するため、計量に用いる長さ(度)、体積(量)、重さ(衡)の基準や文字などの制度を推し進めたことを物語っています。
高級鎧軍吏俑は頭には鶡 (ヤマドリ)の羽が飾られた冠をかぶり、二重の長めの上着を着て、その上にカラフルな鱗鎧をまとい、背が高く、非常に端正な士官俑です。
金銀象眼楽府鐘は外側と内側に金や銀であしらった模様が施され、音階の正しい澄んだ音が出せます。鐘の取っ手となる鈕には「楽府」の2文字が刻まれており、楽府が秦代に最初に設立されたことが文献と実物により裏付けられています。
また、秦始皇帝陵の土盛りから南東約200メートルに位置する内外城の間の石鎧甲坑から出土した石甲冑(かっちゅう)は非常に複雑な構造となっています。胴部を守る鎧(甲、よろい)は青石を削って磨いた石片を平たい銅線でつなげたものです。また、頭部を守る兜(冑、かぶと)はとても精巧な作りとなっていて、秦代の考古学史上初の発見であり、「秦代にはまだ兜がないじゃないか」というこれまでの認識を塗り替え、考古学資料に秦の兜に関する実物証拠が不足する欠陥を補いました。(ZHL、野谷)
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