北京
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いまから70年前の1954年、当時の中国の周恩来総理は「主権と領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政への相互不干渉、平等互恵、平和共存」の五原則を初めてまとまった形で打ち出した。この、平和共存五原則はそれ以来の70年間、公正で合理的な新型の国際関係の構築を推進するために歴史的な貢献をしてきた。
第二次世界大戦後には世界で脱植民地化運動が強まり、アジア、アフリカ、中南米の多くの発展途上国は数百年来の植民地システムの束縛からの脱却を切望し、平等な国際関係の構築を渇望した。
周恩来総理兼外交部長はこのような歴史の状況にあって、1953年末にインド政府代表団と会見した際に平和共存五原則を初めて提起し、「大国と大国、特に中国とインドのように国境を接する二つの大国の間には、何らかの問題が起こるのは当たり前のことだが、これらの原則に基づきさえすれば、どのような問題でも話し合える」と指摘した。周総理兼外交部長の言葉には相手側から積極的な反応があり、中印はそれからしばらくした1954年4月29日に共同声明を発表して「中華人民共和国とインド共和国の中国チベット地方とインドとの間の通商と交通に関する協定」を締結した。平和共存五原則はこの協定の前文に明記されており、かつ両国関係を導く原則とされた。
1954年4月26日からは、朝鮮問題の平和的解決とインドシナの平和回復について協議するジュネーブ会議が開催された。周総理兼外交部長は会議休会中の6月28日と29日にインドとミャンマーを訪問し、中印、中国・ミャンマーのそれぞれの首相共同声明を発表し、五原則を相互関係およびそれぞれの国とアジアおよび世界の他の国との関係を導く基本準則にすると宣言した。
五原則は発表されるとすぐに、国際社会から広く承認され、順守されるようになり、国家関係に処理する上での最大公約数となり、一連の二国間および多国間文書の中に組み入れられることになった。
まず二国間レベルでは、アラブやアフリカ諸国の間で1960年代から五原則が広がった。五原則は1970年代初めには中南米諸国にも広がった。中国は五原則を踏まえてチリ、ペルー、メキシコ、アルゼンチン、ガイアナ、ジャマイカ、トリニダード・トバゴ、ベネズエラ、ブラジルなどの国とも相次いで外交関係を樹立した。
フランスは1964年に、五原則を土台に中国と正式に国交を樹立した最初の西側国家になった。1970年代にはカナダ、イタリア、米国、日本などの西側諸国が相次いで五原則を土台として中国との国交正常化を実現した。中国は2024年年初までに183の国と外交関係を樹立し、発展させてきたが、ほぼすべての国交樹立の共同宣言や二国間条約に五原則が盛り込まれた。
多国間レベルでは1955年にバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議で、周総理兼外相が改めて五原則に言及し、参加各国の賛同を得た。五原則は最終的に『アジア・アフリカ会議最終共同宣言』に採用され、アジア・アフリカ諸国の国家関係の準則を確立する上で重要な貢献をした。そしてこの会議の後に盛んになった「非同盟運動」も、五原則を土台および指導原則とした。
五原則はこのほかにも、多くの国際的な法文書に書き入れられており、現代の国際関係を指導する国際法の基本原則になっている。ソアレス国連法務担当事務次長兼国連法律顧問も、「五原則は『国連憲章』の趣旨と原則を集中的に体現しており、国際的な難題を解消するためのよい処方だ」と指摘した。
世界の大変動は加速している。世界の変化、時代の変化、歴史の変化はかつてない勢いで展開されている。世界は新たな激動と変革の時期に入った。2022年に勃発したウクライナ危機は今も続いている。イスラエルとパレスチナの衝突は繰り返され、ガザ地区は満身創痍だ。このような世界のさまざまな混乱の背後には覇権主義の魔の手が少なからず潜む。
中国は対照的に、平和共存五原則を一貫して実践し、国連を中心とする国際体系と国際法を基礎とする国際秩序を断固として守ることなどで、人類社会の平和発展の重要な力となっている。中国の習近平国家主席は「人類はどこへ向かうか」という世界の問い、歴史の問い、時代の問いに向き合って人類運命共同体構築という重要理念を提起し、人類社会の共同発展、長期安定、文明の学びあいのための中国人の構想を打ち出した。人類運命共同体の理念の構築は平和共存五原則の継承であり、五原則を発展させ、その内容をより豊かにしたものだ。中国人は平和共存五原則から人類運命共同体に至るまで、平和と繁栄を追求し、恒久平和、普遍的安全、共同繁栄、開放と包摂が実現した、クリーンで美しい世界の建設に貢献することを望み続けている。(CGTN論説員)
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