北京
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中国上海にある名門大学の復旦大学の科学技術考古研究院と陝西省考古研究院は28日、中国の南北朝時代に鮮卑系の宇文氏によって建てられた北周(557~581年)の武帝・宇文邕の生前の容貌の「復顔」およびその他の考古学成果を発表しました。中国で科学技術を用いた考古学の手法で歴史上の帝王の生前の容貌が復元されたのは初めてとのことです。
△北周武帝の「復顔」
史書の記載によると、宇文邕(在位:560~578年)は鮮卑系の出身で、中国北部を統一しました。さらに北方の遊牧騎馬民族の突厥を平定して江南地方も手に入れようと野心的な計画を定めたものの、志半ばで若くして死去し、武徳皇后とともに現在の中国北西部の陝西省咸陽市にある孝陵に葬られました。
復旦大学科学技術考古研究院の文少卿氏のチームは武帝の肢骨サンプルから約100万の利用可能な遺伝子座を取得し、武帝の髪、皮膚、瞳孔など顔の重要な特徴を再現しました。6年間の試行錯誤の末、宇文邕の生前の顔を「描く」ことができたとのことです。復元された顔の画像によると、宇文邕は黒い髪、黄色を帯びた肌の色、茶色の目をしており、典型的な北東アジアや東アジア人の顔立ちであり、人々が想像していた鮮卑族の、髪とひげが生い茂り、髪の色が黄色っぽく、彫りの深い顔立ちの姿とは大きく異なるということです。
宇文邕の姿は唐代の画家の閻立本の『歴代帝王図巻』にも描かれています。閻立本が描いた北周の武帝はふくよかな顔をして豊かな体型ですが、このたび復元された宇文邕の容貌はやせていて精悍です。
文少卿氏は「北周武帝の家系図によれば、彼の祖母である王氏は北方の漢民族である可能性がある。鮮卑族の形成は、動的な多民族融合のプロセスであっただろう」と語りました。
復旦大学歴史学部の韓昇教授は、「南北朝時代は中国の歴史において後世に大きな影響を及ぼす民族大融合の時期だった。技術考古学は歴史研究に証拠を提供しただけでなく、多元的かつ一体的な中華民族に対する理解を増進した」と指摘しました。(ZHL、鈴木)
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