干支「龍」にまつわるよもやま話~清華大学・劉暁峰教授に聞く~

2024-01-30 14:39:57  CRI

 龍は干支の中で唯一実在しない「瑞獣」です。「龍」にまつわるさまざまな疑問について、東アジアの歳時記や暦法の誕生過程を研究する民俗学者、清華大学歴史学部の劉暁峰教授に取材しました。

 劉 暁峰さん 清華大学歴史学部教授 中国民俗学学会元副会長 京都大学博士

 著書には『東亜的時間』『節日中国:端午』など多数

■大空に「龍」がいた!?

山東省臨沂地方につたわる辰年の春節を飾る切り紙 (画像:視覚中国)

――龍はなぜ干支に選ばれたのでしょうか。

 諸説ありますが、「龍」は古代の中国人にとって身近な存在だったからだと思います。

 古代の中国では、東西南北は四神により司られていると信じられていました。つまり、東の青龍(蒼龍とも)、西の白虎、南の朱雀、北の玄武のことです。この四神は同時に、それぞれ七つの星宿を司っていました。「星宿」とは、複数の星たちからなる「星座」のようなものです。古代中国の天文学では、夜空に二十八の星宿があり、中でも東の蒼龍が司るのが「角、亢、氐、房、心、尾、箕」という名の七つの星宿、「蒼龍七宿」です。それはあたかも龍のような形に見え、「角」は龍の角、「亢」は喉、「氐」は爪、「心」は心臓、「尾」と「箕」は尾にそれぞれ見立てられていました。

蒼龍七宿のイメージ図(画像:視覚中国)

 「龍」は、中国の古代の記述に「春分而登天、秋分而潜淵(春分になると天に登り、秋分には淵に潜る)」(『説文解字』)、「立夏清風至而龍升天(立夏の清らかな風が吹けば、龍が天に昇る」(『易緯通卦験』)とあり、いずれも空での「蒼龍七宿」の軌跡を表現しています。

 黄昏に東の空で「蒼龍七宿」が見えるようになれば、春の便りです。旧暦2月2日、「角宿」から先に明るくなるその様子は、龍が頭をもたげ始めるように見えるため、中国ではこの日を「龍抬頭」と言います。この頃から、陽の気が成長し、雨が増え、万物が生気に満ちるようになるため、この日に龍に祈願すれば、一年中良い気候に恵まれ、五穀豊穣、無病息災できるとされ、とりわけ髪を切ると年中幸運に恵まれると今も信じられています。

 「蒼龍七宿」が黄昏に南の空高くに輝くようになると夏の到来で、西の方へ傾き始めれば秋に入り、北方の地平線の下へ沈めば冬の知らせで、「蒼龍七宿」は見えなくなります。農耕社会では、人々は常に空にかかった龍星の動きを通して、季節の移り変わりを観察し、農作業する際の参考にしていました。 

中国で食べ物の名前にも「龍」が使われている。左から龍須麺、龍須酥、龍眼(画像:視覚中国)

■「恐竜」の化石も「龍」がいた証!?

――「龍」は古代の中国でどのような生き物でしたか。

 古代中国人の想像の中では、龍には長いヒゲがあり、口の中に真珠があり、体を覆うウロコは81枚で、顎の下(喉元)に1枚だけ逆さに生えている逆鱗(げきりん)があるとされました。龍が吐いた息は雲になり、その雲は水にも炎にも変わる。叫び声は、「銅盤を叩いた音のようだ」と記されていました。龍は卵から生まれるものの、受精は風を介して実現する、つまり、雄の龍が風上に、雌が風下にいて、同じ風に当たることで受精すると考えられていたのです。

河南省鶴壁市浚県大伾山の龍洞に彫られた龍(画像:視覚中国)

 龍は大変聡明で、玉や宝石を大変好んだため、今でも龍窟に入ると宝石がたくさん見つかると小説ではよく描かれています。

 また、「雲従龍 風従虎(雲は龍に従い、風は虎に従う)」という言葉があり、これは似たようなものが集まると勢いを増すという意味です。

中国の中薬材市場で取引されている竜骨(画像:視覚中国)

 今は、龍が実在しているとは誰も思いませんが、古代の人々には、「龍」は実在する生き物だと捉えられていた可能性が大きいようです。その証拠の一つは、古くから中医学の薬材に「竜骨」があります。「竜骨」、つまり、恐龍など古代生物の化石のことですが、肝臓などの病気に効く薬材として重宝されてきました。

 ただし、古代の人々は「竜骨」を見てずいぶん困惑したのではないかと思います。龍は瑞獣で神通力があり、不死身のはず。ならば、その骨はどこから来たのかという疑問が生じるからです。その問いに対し、「皆是龍蜕、非実死也」、つまり、蛇が脱皮するのと同じように、龍も皮が抜け(「龍蛻(りゅうだつ)」)、抜け殻は残るが、本当に死んだわけではないと古代人は解釈したのです。

北京・北海公園にある九龍壁の一部(画像:視覚中国)

――そう言えば、誰も見たことのないはずの「龍」の造形はどうやって作られたのですか。

 宋代の博物誌『爾雅翼(じがよく)』によりますと、「龍に九似あり」、つまり、龍の角は鹿、頭は駱駝、目は鬼、身体は蛇、腹は蜃(しん、蜃気楼を作り出すとされる想像上の動物)、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛だとの記述があります。なぜこのような形になったかについては、ワニ説、トカゲ説、蛇説、馬説などのほか、蛇をトーテム(部族的象徴)として扱う「伏羲(ふくぎ)」という部族が他の部族を併呑・吸収していく中で、他の部族のトーテムも加わって出来上がったという説もあります。

 私としては、今後「龍」の研究をする際は、古代から文献に度々登場する「竜骨」のことも視野に入れるべきだと考えています。というのは、生きた龍を見たことがなく、想像だけを膨らませてきた古代の人々にとっては、恐竜の化石こそが龍の存在を実証する証拠物のようなものでした。中国では、龍にまつわるイメージや想像が時代を追うごとにどんどん膨らみ、龍がモチーフとなった慣わしや民間信仰も浸透していきました。そういった「龍」から生み出された豊かな文化の形成には、次々と発掘された恐竜の化石から受けた影響についてもっと掘り下げて研究する必要があると思います。

■「竜門」は実在の場所!?

登竜門の煉瓦彫刻(山西晋商博物館所蔵/画像:視覚中国)

――ところで、「竜門」の激流を上り切った鯉は龍になれるという登竜門の伝説がありますが、この「竜門」は実在するのですか。

 はい、今の山西省河津県と陝西省韓城県の間を流れる黄河にあります。黄河の治水を成功させたという禹(う、紀年前2000年頃の人物)により、山を切り開いて作られたそうです。

 北宋時代の説話物語集『太平広記』によれば、竜門を上り得た鯉は龍に化すことから、毎年晩春の頃、黄色い鯉の勇士たちが一世一代の挑戦に挑むため、各地から竜門に集結します。

韓城禹門口黄河竜門の風景(陝西省渭南市/画像:視覚中国)

 鯉が龍と化す時、雷が鳴ってその尾が焼かれるとされます。そのため、科挙試験(かつての中国の官僚登用試験制度)の合格を祝う宴は「焼尾宴」と称され、日本でも、平安時代、官職に就くと、「焼尾宴」が開かれました。

 実は登竜門に成功する鯉は毎年、72匹しかいないとされています。失敗した鯉は、その証として額に点が付けられ、帰ることになります。唐代の詩人・李白は自身の失意を登竜門に失敗した鯉に重ね合わせ、「黄河三尺鯉、本在孟津居。點額不成龍、歸來伴凡魚(長さ三尺もある黄河の鯉は、普段は孟津関あたりに生息しているが、竜門に来たものの、上りきることができなかったから、額に点を付けられ、平凡な魚たちの相手をせざるを得ない)」(「贈崔侍郎」より)という詩を残しています。

 日本も各地の寺社などに龍のオブジェや建造物、伝承が多くあります。東アジアの国々は、龍への愛着があると思います。「龍」については、今ではあまり知られなくなったエピソードがまだまだありますので、皆さんも興味があれば、ぜひ探求してみてください。

 (聞き手・構成:王小燕、校正:MI)

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