北京
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日本語には「十六夜(いざよい)ばら」という花の名がある。初めてこの名を見た時には、満月の下に咲く美しい花を連想させる風雅でロマンチックな言葉だと感心した。調べてみると、花の原産地は中国南西部の貴州などの地域で、古いゲッキカ(月季花)の品種だった。この言葉が中国で知られていないのは、中国語にはもう一つの名称の「刺梨」があるからだ。「刺梨」の名からも分かるように、中国では「十六夜ばら」が、花であり食べ物でもある。
中国人は早くから野生の刺梨に豊富な栄養と薬用価値があることを発見した。三国時代の諸葛亮(孔明)が軍を率いて南西部の孟獲を征伐に行った時、大部分の将兵は風土に順応できずに倒れたとされる。火急の事態に陥った時に、地元の医師が刺梨の入った薬を献上したことで、患者は全快して危機を脱することができたという。研究によると、刺梨は栄養が豊富で、特にビタミンCの含有量はリンゴの500倍に達する。もともと野生の植物である刺梨は食物として利用され、刺梨ジュース、干し刺梨、刺梨酒が作られるようになった。単なる観賞用植物ではなく、貴重な食べ物になったわけだ。貴州の人々は最小のコストで、最大の価値のある食品資源を獲得した。
自然からの贈り物を適宜利用して、より小さなコストで、より大きな栄養価を得る例は少なくない。この方面で、中国の少数民族は特に知恵がある。ミャオ族やハニ族の「稲花魚」は典型的な例だ。水稲を栽培する地域は多いが、田の水を利用して魚を飼うことを思いついた地域は少ない。ミャオ族は春に稚魚を池に放し、立夏に田植えをした後には魚を水田に移す。水稲と魚は共に成長する。開花した稲の花がしぼんだ際に水に落ちる部分は魚の最も栄養豊富な餌になる。一方で、魚のふんは水稲の最も良い肥料だ。このようにして育った魚は美味だがそれほど高価ではなく、多くの人が食べることができる。
「食べ物開発」の名手といえば、昆虫を食べるタイ族の人々を挙げねばなるまい。タイ族は中国南西部に住む少数民族で、彼らの祖先が暮らした地は年間を通じて高温多雨で、牧畜業は立ち遅れ、栽培する作物は単一だった。そのためタイ族の人々はより入手しやすく、種類の多い昆虫を食べ物に選んだ。現在もタイ族料理には昆虫を使うものが多い。
美食を語るならば、やはり和牛やキャビア、山海の珍味だという人もいる。こんな美味しい食べ物を受け入れない人は珍しいだろうが、希少であり高価であるために、もちろんながら大勢の人を満たすことのできる食材ではない。さらに、これらの食材を手に入れるには大量の人力や物力、資源が必要なので、地球の環境にやさしいかどうか、持続可能の発展に有利であるかどうかも問題だ。人々はどのような食べ物を必要とするのか、どのようにして入手するのか。これは大きな問題だ。
2015年の中央農村作業会議はこの問題に初めて対応して「大農業観、大食物観」の樹立を正式提案した。習近平国家主席は「大食物観」の樹立を強調して、「大食物観とは、耕地や草原、森林、海洋に、植物や動物、微生物にカロリーやたんぱく質を求め、全方位かつ多くの道筋で食物資源を開発するものだ」と指摘した。
この考えは、中国の人々がずっと認め、実践してきた食物観を肯定し、鼓舞するものだ。自然に対してよりやさしく、より持続可能な方法で、より多くの人により良い食べ物を手に入れ、人と自然の調和の取れた関係を求める、国の方針と人々の考え方が図らずも一致した。
十六夜ばらは、庭で咲かせてその美しさを楽しむこともできるし、食卓で「開花」させて豊かな栄養を提供してもらうこともできる。人と自然の調和と共生を追求し、自然の価値を最大限に開発したいものだ。(CMG日本語部論説員)