北京
PM2.577
23/19
一葉落ちて天下の秋を知る。11月の北京、落葉は晩秋の風物詩として、多くの人々に愛されている。近年、市民に落ち葉を拾って楽しむ時間と空間を残すため、北京市では落ち葉の清掃を遅らせる措置が取られた。一見してささいな工夫だったのに、都市管理の精細化と人情味が覗かれ、人と自然の調和の取れた共生も垣間見られた。
中国では、都市化プロセスの初期、人々が憧れる都市の風貌は整然とした街並みに林立するビルで、繁栄と清潔さがより重視されていた。秋冬の落ち葉に対して、都市管理部門は1枚も残さずに随時清掃することを要求していた。確かに都市環境の整然さときれいさが確保されたが、どうも季節の香りとか、自然の息吹に少し欠けたような気がする。
経済社会の急成長に伴い、都市化プロセスは加速して、中国人の美意識も変わってきた。物質面への追求に留まらず、精神面の満足をより重視するようになってきた。落葉は古くから中国人が気持ちを伝え、想いを募らせる重要な“相手”である。落葉を観賞したりち葉を拾って楽しむことは、中国人が秋を満喫して自然に親しむ趣の一つでもある。市民の精神的な訴求をより良く満足させるため、北京市政府は落ち葉の清掃時間を遅らせた。都市はもともと、冷たい鉄筋コンクリートの森ではなく、愛も趣も温もりもあふれる楽園になるべきだ。落ち葉を即時清掃せずに、しばらくそのまま地面に残すことは、大自然と社会の包容力と思いやりを物語っている。
もちろん、清掃を遅らせることは、清掃しないことではなく、放っておくことでもない。消防面の安全や環境保護の必要に応じて、都市管理部門は落葉の観賞エリアを定め、域内で「落ち葉だけを残してごみを清掃、晴れる日に清掃せず雨後は即時清掃、下水路に詰まると即時清掃、燃えやすく腐りやすくなった場合は徹底的に清掃」という細かくて具体的な管理方法を打ち出した。そのほか、落葉観賞エリア以外の地域では、通りも緑地も市民市場でも、これまで通りに日常的な清掃が随時行われる。
中国には「落紅不是無情物、化作春泥更護花(落紅は非情なものではなく、春泥になって花を守る)」という詩句がある。昔、落ち葉はごみとして集められ、ごみ処理場に運ばれたが、グリーンで持続可能な発展理念の浸透に伴い、多くのところでは、落ち葉をその場で収集して資源化利用する試みが展開されている。例えば、北京市の副都心・通州区にある西馬庄公園では、落ちた花や木の葉・枝などのいわゆる園林緑化廃棄物を園内でバイオ肥料として利用することから、窒素肥料や尿素などの化学肥料の使用が効果的に控えられた。また、大気中の二酸化炭素が植物の光合成によって炭水化物になり、食物連鎖や腐敗を経て再び大気に還元するまでのいわゆる大自然の炭素循環利用によって、中国国内初の炭素循環公園として生まれ変わった。モニタリングによると、2023年、この公園の炭素固定量の増加率は9%を上回る見通しで、園内緑地の炭素貯蔵量が大いに高まり、都市部の「炭素庫」としての役割を果たしている。
北京市では、毎年落ち葉や木の枝などの園林緑化廃棄物は約500万トン以上あり、落ち葉を根に還元して、資源化再利用すれば、人的・物的・財的な多くの支出が節約できる一方、自然を尊重し自然を守り、自然の規則によって自然生態系を修復する最善の環境保護ができる。今、落ち葉の清掃を遅らせる策や資源化再利用は上海、南京、西安、成都、大連、青島など全国複数の都市に広まった。自然の美しい景色を楽しみながら、都市部の炭素循環緑地の建設が進められ、中国式現代化建設におけるエコ文明理念の伝承のための生き生きとした身近な成功例として、人々の生活に確実な幸せをもたらしている。(CMG日本語部論説員)