北京
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第19回アジア競技大会(杭州アジア大会)陸上は29日に幕が開く。この記事では筆者が注目する選手をご紹介。最後は100mH(ハードル)の田中佑美(富士通)。高校時代から世界の舞台を踏み、大学、社会人でも記録を伸ばし続け、今年は世界陸上への出場も果たした。パリ五輪を見据えた言葉は簡潔明晰で聡明さがあふれていて、それが彼女のアスリートとしての魅力をより際立たせている。田中から繰り出される言葉に圧倒されながら、自分の競技への思いを聞かせてもらった。
短距離はスタートの緊張感、ドキドキを味わって
田中が取り組む100mHは100メートルを走りながら10台のハードルを飛び越える種目。競技の魅力を聞いてみた。
「まず短距離走はスタート前の緊張感が何者にも代え難いものだと思っています。選手もその一瞬にフォーカスしているので、観客の方にもドキドキ感を味わってもらえるのが魅力です。100mHは想像よりも迫力がある競技なので、できるだけ近くで選手のスピード、ハードルを越えていく加速感を楽しんでほしいです」
ハードルを飛び越える田中佑美(写真 富士通提供)
中国選手との思い出
田中と中国選手の縁は高校時代ベトナムで開催された2016年アジアジュニア選手権大会にさかのぼる。この試合で田中はフライングで失格に。トラック種目は1回フライングすると一発退場になる。しかし、「やっぱり走ってもいい」と言われ、見事1位になり、国旗を掲げて競技場を練り歩いたが、やはり失格になってしまった。その結果、繰り上がり優勝したのが中国の虞佳如で、二人はライバル関係に。その後、高校3年の2017年、日中韓3カ国交流大会でリベンジを果たすべく虞と戦ったところ、勝ったのは田中。珍場面を紹介しながら中国のライバルとの思い出を話してくれた。
アジアの選手としてみんなで強くなっていきたい
最近も中国の選手のことは意識しているという。
「アジア選手権や成都ユニバで五輪の派遣標準記録を切る記録を出した選手がいることを認識しています。今回のアジア大会は中国人選手にとっては地元開催ということで気合が入っているだろうと思います。でも、世界に出るとアジアとかヨーロッパといった、国ではなく地域としてのファミリー感を感じるので、アジアの選手としてみんなで強くなっていければいいなと思います」
アジア陸上競技の繁栄を願う言葉にも、田中の競技愛と人柄が表れている。
社会人では違ったアプローチで陸上を、自分の強さは
田中は社会人になってから練習拠点を筑波大学へ移し、谷川聡コーチから競技について体系的な指導を受けている。どこか感覚で陸上を捉えていた田中とは違い、筑波には論文などを元に競技を理論的に考える選手も多い。自分の至らなさを感じることもあったが記録は毎年更新している。自分の強さはどこなのか聞いてみた。
「アスリートの強さは人それぞれだと思います。論文は読んでいませんが、私の強さはコーチや周りのアドバイスを自分の中でうまくコーディネーションできることで、社会人になってから毎年記録が伸びているのは谷川コーチのおかげだと思います。あとは、ネガティブな感情に引きずり込まれずに練習を継続できることです」
フィニッシュの瞬間(写真 富士通提供)
陸上100%にならずONとOFFを大事に
田中は富士通の社員として、半日練習半日仕事の生活をしている。会社での仕事内容はソフトウエアの営業関係。もともと、陸上100%ではなく、仕事もできるという条件で就職した。
「陸上以外のことを考える時間は絶対に必要だと思っています。ONとOFFを作って、日常を楽しむことも大事にしています。仕事はできないことばかりで部署の方には大変ご迷惑をかけていますが、私がいることで、部署の人が陸上に興味を持ってくれたり、大会に応援に来てくれることもあったりと、すごく良い環境にいます」
取材中の田中
シーズン最後もフレッシュな気持ちでベストパフォーマンスを
「世界の壁や自分の力不足、力を発揮する能力不足を強く感じました」と世界陸上を振り返る田中。いつも、大きな大会後はリフレッシュしてからトレーニングに取り組んでいるそうだ。
「今日は久しぶりにハードルを飛んで、新しいシーズンが来たかのような気持でした。アジア大会はシーズン最後の大会になりますが、フレッシュな気持ちで気合を入れて挑みたいです」
もともと田中は「メダルを取ります、何秒で走ります」といった具体的な狙いは宣言しない選手。それを知りながら、あえて今大会への具体的な目標を聞いてみた。
「できるだけ速くですね。陸上、特に直線競技は対人スポーツではなく、自分にさえ集中できればいい競技で、順位に関しては自分がどうこうできるものではないと思っています。自分のできるベストパフォーマンスでベストな記録を狙うことが、どの大会でも自分のできることです」
理路整然とした田中らしい答えが返ってきた。自己を分析し競技にどこまでも真摯に向き合うトップアスリートだ。直近の目標はパリ五輪。そんな田中の「できるだけ速く」がどんな結果になるのか、今大会スタート前はドキドキしながら息を止めそうだ。(文 小林千恵)