北京
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新中国による侵華日軍将兵らを対象とした戦犯裁判にフォーカスした学術書『新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践』(著者:石田隆至、張 宏波)の新刊出版を記念する交流会が11日、北京の清華大学で開かれました。北京の民間団体「中日交流フォーラム」の呼びかけによるもので、著者2人のほか、中国の学者や専門家および北京の大学で勉学中の中日両国の学生ら約60人が出席しました。
出席者の記念写真
2022年12月、日本で社会評論社から出版された同書は、上海交通大学人文学院の石田隆至副研究員と明治学院大学の張宏波教授の20年余りにわたる研究の集大成です。背景となっているのは、1950年~56年、約1100人の侵華日軍の兵士などが新中国の戦犯として撫順と太原の戦犯管理所に収容され、そこで独特の改造教育を受け、反省・認罪したという歴史です。この本では、帰国後は多くの人が反戦平和運動に晩年まで取り組み、その経験を日本で語り続けた事実をも扱っています。
同書は中国国内で公開された外交部档案、山西省検察院所蔵の取り調べ史料、山東省档案館所蔵の検察調査史料、撫順戦犯管理所所蔵の検察調査方針史料などに基づいて、新中国の戦犯裁判の法的根拠の形成過程や、「寛大さ」の意味、戦犯裁判と帰国後の平和実践の相互規定的な関係などを明確にしています。
『新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践』(石田隆至・張 宏波共著、社会評論社)表紙
交流会では、石田氏が「新中国の対日戦犯裁判:戦後平和主義の原点」と題した基調講演の中で、同書が伝える問題意識、方法論、研究の意義などについて説明し、現在の世界情勢における同研究の現実的な意義を訴えました。
334ページに及ぶこの本は、「平和の実現を希求した新中国の戦犯裁判」と「帰国戦犯が向き合った戦後社会と平和実践」の二部構成で、とりわけ、戦犯裁判と帰国後の歩みを合わせて捉える視点は、これまでの戦犯裁判研究にはなかったものとして注目されています。
来場者の学生の質問に答える石田隆至氏
石田氏は、「侵略戦争、戦争犯罪の再発を防ぐという戦犯裁判の目的を考えれば、裁判後の更生状況を確認する研究が不可欠だ」と指摘しました。そのうえで、「東京裁判や国民政府裁判などのBC級戦犯裁判では、5700名が裁かれ、900名あまりに死刑が科された。しかし、戦犯の大部分は罪状を否認し、釈放された後に保守反動に回帰していった者が多く、侵略戦争の再発防止、平和の回復に寄与したとは言い難い。これに対し、更生教育を重視し、誰一人として死刑・終身刑を科さなかった新中国の戦犯裁判では、釈放・帰国後に多くの人が反戦平和活動に加わった」という事実を踏まえ、「厳罰より、『再び戦争の担い手にさせない思想的土壌や政治・社会関係』を育むことが、戦争の再発防止に繋がる」と考えられていた点が、新中国の戦犯裁判でもっと評価されるべきだと強調しました。
石田氏は「新中国の裁判では東京裁判などでは生まれなかった平和的帰結が現れ、そのメカニズムは今後の世界的問題の解決にどのように生かし得るか」という探求が今後の課題だと指摘し、関連史料を所蔵する档案館などによるさらなる史料公開や、この研究のいっそうの広がりに期待を示しました。
【背景】
1956年、新中国による日本人戦犯裁判の様子(資料写真)
新中国による対日戦犯裁判は、1956年、遼寧省瀋陽市と山西省太原市に設置された特別軍事法廷で行われました。対象は1950年にソ連から引き渡され、撫順戦犯管理所に収容されていた、中国侵略に参加した元軍人などのほか、太原戦犯管理所に収容されていた元日本兵ら計1062人です。このうち、1017人は起訴免除とされ、有期刑判決を受けたのは45人にとどまりました。量刑面でも死刑や終身刑を言い渡された人はなく、懲役20年の有期刑が最高でした。これらの元日本兵らが帰国後、「中国帰還者連絡会」を立ち上げ、中日の平和友好をライフワークとして活動し続けていました。2002年、高齢のために会が解散した後、その反戦平和と中日友好の事業と精神を受け継ぐことを目的として、戦後世代の市民が後継団体を立ち上げ、2006年に設立された「NPO中帰連平和記念館」と連携しながら、現在に至っています。(取材・記事:王小燕)