融合と交流こそが文化財保護の出発点~大阪大学・谷本親伯名誉教授に聞く~

2023-08-27 16:33:32  CRI

 8月下旬、気候変動下の石窟寺保護国際フォーラムが世界遺産「大足石刻」の所在地・重慶市大足で開かれました。この動きに関心を寄せ続けている日本人学者がいます。過去に大足を5回訪問し、中国各地の文化財保護の関係者たちと深い絆で結ばれている大阪大学名誉教授の谷本親伯氏(80歳)です。会議からの招待を受けながら、事情で出席を見合わせた谷本教授には中国との交流に寄せた思いについて電話で取材しました。

石窟寺保護国際フォーラム開幕後の集合写真(8月19日、重慶大足)

■岩の専門家から文化財保護の世界へ 

 谷本教授の専攻は岩盤力学やトンネル工学、地球環境学です。文化財保護との関りは、40代にかかわったエジプトの大スフィンクスの保存・修復に遡ります。

 スフィンクスと初対面したのは1989年の早稲田大学考古学調査隊への参加でした。当時、大気汚染、強風や塩害による劣化で、石造物の表面のはく離が進んでいる様子に心を痛めたと振り返りました。続いて、1992年にエジプトが主催した大スフィンクスの保護がテーマの国際会議の参加でした。席上、劣化防止を目的として表面を樹脂で覆い、底部を削ってコンクリート流し込み、地下水の影響を受けないようにする保護案がどんどんと進んでいたのに驚き、「多孔質の石灰岩でできている大スフィンクスは、常に内部と外部の間で水分の出入りがある。いわば、常に呼吸しているに等しい。その息を止めることになるからやってはいけない」と一人で立ち上がって、猛反対したところ、ムバラク大統領の科学顧問を務めるアデル・ヤヒア博士(地質学者)の賛同を得て大激論となり、ついに提案を廃案に追い込むことに成功した体験もありました。

 それがきっかけで1995年に、ご自身が前から会員であった国際岩の力学学会(ISRM)に「石造遺跡保存のための国際委員会」が発足し、谷本教授は2007年まで初代委員長を担当。

谷本教授のエジプト実地調査アルバムから(1997年撮影)

 1999年、中国科学院の要請を受け、初めて敦煌莫高窟を訪問しました。その後、共同研究を通じて敦煌研究院の樊錦詩院長・李最雄副院長・王旭東所長・蘇伯民副所長・郭青林研究員及び同じく敦煌遺跡保護の大家である、中国文化遺産研究院の黄克忠教授(肩書はいずれも当時のもの)など、中国の学者たちと深い絆で結ばれました。

 敦煌研究院との共同調査において、谷本教授のチームは石窟内の地中のわずか20~30センチの深さに湿気の境界層があることを突き止めました。地下水が蒸発し、地中に含まれた塩分を溶かしながら窟内を移動し、また塩分が再結晶し、大気の温度・湿度と気圧変化に伴う吸水と乾燥(=膨張と収縮)を繰り返す過程で薄い下地が壊されるというメカニズムを明確にしたのです。

谷本教授の中国アルバム(2000年)から
左は莫高窟北部の月牙泉、右は莫高窟九層楼前での記念写真

 谷本教授はその後、20年余りの間に約40回にわたって中国を訪問。中国と長く、深く付き合い続けてきた理由を尋ねると、次のような答えでした。

 「日本は中国から約1500年にわたって色んなことを学び、様々な文化を享受してきました。シルクロードがその代表格です。仏像の顔の表情だけを取り上げても、シルクロード沿いに西になるほど生々しく、ビビッドですが、東に行くほど生々しさが消えて、哲学的な、あるいは瞑想的な顔になってきています」

 そして、「中国には乾燥地もあれば、湿潤地、寒冷地、そして温暖な場所がすべて存在します。遺産の保存環境が非常に多様なため、研究する場として、絶好の環境なんですね」と続けました。

 一方、経済の高度成長を背景に、中国は文化遺産保護の度合いを強めてきています。過去20年余りの中国の歩みを実体験してきた谷本教授は、「スピードが速い」「予算を惜しまずに、適切に対応している」と評価しています。そして、大足にも深い思い入れがあると言います。

 2008年、中国国家文物局の主催の下、南宋時代に造営された大足石刻の千手観音像の保存修復工事が「国家石質文物保護1号プロジェクト」に位置付けられてスタートしました。800年あまりの歴史がある千手観音像は、緻密で均質な砂岩の崖面を研磨して仏像を刻み、5層の漆を塗布した後、表面を金箔で被覆したものです。

 修復工事が始まった頃から、現地を訪れていた谷本教授は地形・地質を視察した後、崖面の背後・上方にある池から水が砂岩中の微細な粒子間隙を潜り抜けて染み込んできたことが、仏像の損傷を速めた原因の一つだと見抜き、修復対策に岩石力学の視点から知恵を出しました。

『世界文物』誌2015年6月号掲載の大足千手観音像修復現場の写真

2015年6月号『世界文物』誌の大足千手観音像修復特集号の誌面

上は千手観音の保存・修復チーム。下(左)は1986年1月鄧小平氏の大足視察。(右)は中国の金箔技術担当者と乾杯する谷本教授

 深い印象として残っているのは、次々に剥がれる金箔を外し、石像を覆った漆の部分を削り取り、細かい作業を一生懸命丁寧にこなしていた研究員・作業員たちの姿だったと振り返ります。そのため、谷本教授は手元には千手観音修復工事の完工を特集で紹介した中国の雑誌を今も大事に保管しています。完成を祝って中国側の関係者と腕を組みながら乾杯したのも思い出だと言い、「皆さんのお陰で現在の千手観音像に戻っている。私は心から感謝したい」と高く評価しています。

 修復後の大足石刻宝頂山大仏湾の千手観音像。高さ7.2m、幅12.5m、面積88㎡。各種修復資材約1トンのほか、金箔44万枚使用(写真:羅国家)

■国際交流が不可欠 中日がアジアの文化遺産保存を先導せよ

 大学院にて「地球総合工学」を講義する谷本教授に文明論を語らせると、歴史学者にも引けを取らない豊富な知的ストックがあります。それを象徴するように、「私の長年の大学奉職から得た結論として、文理融合教育が大事だ」と訴えました。

 「文化遺産の保存は、長持ちさせるとか、構造的に安定させるとかといった物理的なものだけではなく、その遺産がどのような文化を背景に、あるいはそれを作った時の人たちの思いという精神的な背景も理解しないと、適切な遺跡保存はできない」

 こう話す谷本教授は、「融合」こそが文化や文明の成り立ち方でもあると指摘しています。敦煌莫高窟の壁画を例に、「仏教と言っても、中東のゾロアスター教だとか、インドのバラモン教、ヒンドゥー教だとか、いろんな宗教の考え方がまじりあって出来上がったもの。その痕跡は壁画から非常によく窺える」と話しました。そして、「そういう色んな影響を受けた上での仏教が日本に伝わり、天台宗・臨済宗・真言宗などといろんな宗派になっている」と説明。日本人の文化的ルーツへの探求心こそ、自身が長年、文化財保護に取り組んできた背景の一つだと話しています。

 谷本教授の中国アルバム(1999年)から
(左)上は莫高窟崖面上からの景色、下は玉門関で敦煌研究院李最雄副院長と共に(右)上は月牙泉、下は漢代の長城遺跡

 このように優劣をつけるのではなく、融合と交流・連携こそが谷本教授が文化財保護を考える際の出発点でもあります。

 「文化財には多様な性質があるため、それに応じ、保存の仕方も異なる。それぞれの国が自分の国の文化財に合わせた対応をしているので、それぞれ得意分野があります。その保護にはもっと活発に意見交換して、いろんな経験をみんなで共有していくべきです」

 異なる国際学術団体間の連携の現状については、谷本教授はまだ十分なところに至っていないと指摘し、文化財保存に関する世界的な合意に向けて、まずは中国と日本が中心になって、アジアの文化遺産の保存について意見をまとめるべきだと強く訴えました。一方、課題としては、観察手段の共通化を指摘しました。

 「特に環境や気象変動を問題にした時には、同じ精度の観測装置を使って共通仕様の観測を続けることが重要だと思っています。ぜひとも国際会議の場を使って、こういった視点からの議論を深めてほしい」と期待を寄せました。 

 ■谷本教授の中国実地調査の記録アルバムから

     

莫高窟九層楼付近の3Dスキャナー画像(2005年)

3Dスキャナー装置


莫高窟内部及び外部(崖面上部)での電気比抵抗測定による地中内水分分布状態の測定および装置(2002年)

■日中の提携への期待 

 大足で開かれる国際会議への招待を受けて、谷本教授は、20年あまりにわたる中国との連携を総括し、また後進たちを励ます気持ちも込めて漢詩を作りました。

 16文字からなるその漢詩は、敦煌の町で出会った露店の篆刻職人に聞いた話にヒントをもらったそうです。

 「私は敦煌の露店で学びました。研究の『研』という漢字は、もともとは石偏に開くという字でした。石は本来は固いもので、中を見ることができないが、勉強することによって、中まで見えるようになる。これが研究だということを知り、すごく感動したんです」

 そして詩の内容については、こう説明してくれました。

 「心をこめて一生懸命に研究に打ち込めば、いずれどこからか天の声が聞こえるように、素晴らしいアイデアが思い浮かんでくるに違いない。(世界遺産の)大足石刻の保護に努力しようと思う人であれば、どの人も一つのベルトで繋がれているのです」

 インタビューの最後に、谷本教授から「ぜひ伝えてほしい」と頼まれた構想が伝えられました。

 「敦煌莫高窟のシンボル、第96窟の九層楼の前に両国の有名な歌手が参加して合同音楽会をぜひやってほしい。両国のテレビ局がそれを生中継して伝えてほしい。文明の伝達ルートであるシルクロードに思いを馳せれば、今、ギクシャクしている両国関係もきっと改善するでしょう」

 電話の向こうからやや興奮気味に伝わってきたのは真摯な思いだけではなく、それ以上に、数千年の月日を相手に旅を続けてきたベテラン研究者の心からの願いでもありました。

 【プロフィール】

 谷本 親伯(たにもと ちかおさ)さん

                           

 大阪大学 名誉教授

 1943年生まれ、京都大学工学博士

 専攻は岩盤工学・土木施工学(特にトンネル工学)・地球環境学。

 石の力学連合会・国際岩の力学学会(ISRM)・地盤工学会・材料学会など多くの国内外の学会に所属。大阪大学国際交流委員長。

  2007~2010年 大阪大学サンフランシスコ教育研究センター長(日本の国立大学では最初となる大学の海外拠点)

 1999-2006年 日本国内委員会事務局長職と共にIAESTE/UNESCO の国際本部筆頭理事を兼務(2004-2007年)

 中国の文化遺産保護関連では、甘粛省敦煌莫高窟・浙江省龍游石窟などの遺跡保存をテーマに中日若手研究者の合同調査を先導し数多くの調査・研究を行う。

(取材&記事:王小燕 写真提供:谷本親伯)

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