【観察眼】IAEAの報告書は汚染水放出の通行証ではない

2023-07-06 15:40:00  CRI

 国際原子力機関(IAEA)は4日、東京電力福島第一原子力発電所の汚染水処理に関する総合評価報告書を発表した。これを受け、波紋が広がっている。日本は放射能汚染水の海への放出の許可を得たのだろうか、今年の夏からの海への放出計画は、また予定通り一歩進んだのだろうか。関係各国の疑問は解消されるどころか、憂慮はよりいっそう深まっている。

 この話題は中国のネットユーザーの間でも注目されている。「(汚染水が)本当に安全なものなら、なぜ日本国内でそれを使わないのか」「国際原子力機関のスタッフが自分で先に飲んでちょうだい」「海に放出する計画を立てていること自体、安全ではないことを意味する」……数え切れないコメントに共通の懸念が込められている。

 各国の原発が海に排水しているのに、なぜ日本は駄目なのかと言う人もいるだろう。この問題の答えはまさに、多くの人の心配を引き起こした根源である。東京電力福島第一原子力発電所の汚染水は、世界各国の原子力発電所が正常に稼働し放出した液体流出物と本質的に異なる。両者は出所が異なり、放射性核種が異なるため、処理の難しさが大きく異なる。東京電力福島第一原子力発電所では、原子炉の内部に残る、溶けて固まった燃料(燃料デブリ)を冷却するために水をかけ続けていること、雨水や地下水が原子炉建屋内に流入することなどにより、高い濃度の放射性物質を含んだ汚染水が発生している。一方で、原子力発電所の正常な運転によって発生した廃水は主にプロセス排水、地上排水などに由来し、厳格な監視を経て基準を達成した後に計画的に排出され、排出量は規定の制御値をはるかに下回る。

 「IAEAは安全だと言っている。日本の海への放出計画に反対するのは、わざと日本をいじめることだ」という声もある。これに対しては考えすぎだと言わざるを得ない。自分の安全の確保と他人へのいじめは、いつになっても前者は常により根本的な出発点である。IAEAは報告を出すことができるが、安全問題が発生すれば責任を持って結果を引き受けることができるだろうか。海洋漁業で生計を立てている漁民でもなく、太平洋周辺に代々暮らす人でもない。安全で安心な海塩が買えないことで心配する必要はなく、次世代を健康に育てられるか心配することもない。汚染水放出の結果を引き受けるのは、機関ではなく、国籍を問わない一人一人だ。汚染水放出の被害を誰よりも先に受けるのはまさに日本の国民である。

 IAEAは安全だと報告しているが、根拠は特定のサンプル、データである。しかし、汚染水の海への放出は長期的な過程だ。放出前のモニタリングは遅れる可能性があり、常に判断を間に合わせるのは難しい。これにより、基準を満たさない放射能汚染水が直接海洋に放出される可能性は排除できない。また放射能汚染水の混合で、不合理な希釈を引き起こす可能性もある。放射能汚染水を混合した後にサンプリングして監視しては、高濃度の放射能汚染水は低濃度のものによって基準を達成した汚染水に希釈されたことで、本当は放出してはならないものが放出されることになる。さらに、透明で長期的な国際モニタリングは、IAEAの今回の報告書だけでは達成できない。

 今回の報告でさえ公正性は疑わしい。IAEAは今回、日本の放射能汚染水処理問題の審査評価に複数の専門家を招いたが、最終的に急いで報告書を発表し、すべての専門家の意見を十分に反映できず、関連結論には限界と一面性があるとするメディアの報道もある。

 中国外交部の毛寧報道官は4日、「国際原子力機関は日本側の招待に応じて評価審査を展開し、その授権範囲は海への放出計画に限定され、報告書は日本側の放射能汚染水の海への放出の『通行証』ではなく、海への放出が放射能汚染水の処理における唯一の最も安全で信頼性の高い選択肢であることを証明することはできない」と述べた。

 世界の海洋環境保護と人類の健康安全に関わる大きな問題に対して、IAEAは報告を出すことができるが、結果を引き受けることはできない。この報告書を汚染水の海への放出の「許可証」にするのは理不尽だ。日本政府は、一つの機関ではなく、海に頼って生きるすべての地球人に説明しなければならない。(CMG日本語部論説員)

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