上野千鶴子ブーム 中国女性の本音と社会背景

2023-05-30 12:02:24  CRI

上野千鶴子氏(写真:視覚中国)

 「2022年は上野千鶴子イヤー」

 中国の出版関係者たちは、昨年を振り返ってそう語ります。

 上野千鶴子氏は2022年、中国のレビューサイト「豆瓣(ドウバン)」で、この年の輝く作家第1位となり、女性作家鈴木涼美との共著『往復書簡 限界から始まる』は、「ブック・オブ・ザ・イヤー」に選ばれました。

 上野氏の本が初めて中国で紹介されたのは1991年。当時は学術書としての出版でした。ここ2年の大ブレイクは、上野氏が2019年の東京大学入学式で語られた日本社会の性差別の現実に切り込んだ祝辞から始まりました。その動画は、中国のSNSでもほぼリアルタイムで紹介され、動画サイト「ビリビリ」では再生回数約100万回に。それ以降、上野氏の著書は中国での翻訳・出版が相次ぎ、現在では20冊以上に上っています。最も売れた本は『女嫌い』で合計27万部を記録。全著書の販売総部数は70万部超となっています。

「豆瓣(ドウバン)」の2022年の輝く作家ランキング

 学術書からベストセラーになった上野氏の著作。そのブームの背景には何があるのでしょうか。まずは、中国若者たちのSNSのコメントを読んでみましょう。

■上野氏の言葉は“人生の道しるべ”

 「震えるほどエモい。使命感が湧いてきた」

 「これからも頑張っていけそう」

 「女性だけではなく、全ての人に大きな意味がある」

 これらは、ビリビリにアップされた東大入学式祝辞動画へのコメントです。

 この動画をきっかけとしてファンになったというZさんは、北京の会社に勤務する30代前半の女性。Zさんは、「女性として大都会で暮らす中で、心の中でもやもやと感じていたことを、上野先生が的確な言葉で表現してくれた。上野先生は女性の良き代弁者です」と語り、「子どもの頃は、『努力した分は報われる』と言われて育ちました。大学卒業までは、確かにその言葉の通りでした。しかし、いざ社会人になると、そうとは限らない現実に直面することばかり。そんな時に、『努力しても報われない社会が待っている』『弱者が弱者のままで尊重される社会』という上野先生の切れ味のよい言葉が心に響きました」と言います。

 その他にも、「自分への理解を深め、前進する力をもらえた。もっとこの世界が好きになった」という女子大生の投稿もありました。

 上野氏の言葉は、多くの若い中国人女性、悩んでいる女性たちにとって、“人生の道しるべ”となっているのです。

■“少子化世代”という共通項

 ブームをさらに加速させたのは、上野氏の2つのオンラインイベントでした。今年2月、中国の出版社と新聞社がそれぞれに開催したイベントが、インターネットで大きな波紋を呼んだのです。

 まずは、インフルエンサーとして知られる北京大学OG3人組みとの対談。「フェミニズムに対する浅はかな理解」と批判された彼女たちの質問が物議を醸し、ネットでの炎上に発展しました。その次が、中国でいち早くジェンダー論の研究を始めた女性学者・戴錦華氏(64歳、ジェンダー論、映画論)とのオンライン対談。学者同士の深みある議論が好評を博した企画でした。

 上野氏が中国人にとって身近な存在となり得た背景には、ネット空間の拡大があります。世界のどこにいようとも、人々は気軽にネット空間にアクセスし、さらには情報の送り手と受け手が直接対話できるようになりました。そればかりではありません。現代社会においては、中国、日本の区別なく、若者たちの育つ環境がどんどん似たようなものになっているという点も注目されています。これは、上野氏と中国人学者の戴氏に共通した認識でもあります。

 上野氏は対談の中で、自分の本が中国で共感を得られた共通の背景として、「新自由主義の影響下で育ったこと」「ともに少子化世代であること」の2点をあげました。

 戴氏はベストセラーとなった『往復書簡 限界から始まる』を例に、「この往復書簡は、今60代という自分と同じ年代にとっては距離感がある。だが、若い中国人女性たち間で情熱的に読まれ、議論されたのは、彼女たちの琴線に触れたからだ。彼女たちが成長する中でぶつかる悩みを正確に描き出していたのだろう」と分析しています。戴氏は、とくに中国が急速に豊かになっていく中で育った「一人っ子」世代(1980年代からの「一人っ子政策」のもとで生まれた世代)の女性について、「無数の選択肢があるように見えながらも、実は(日本の同年代女性と同様に)しがらみが多く、どう選択すれば良いかが分からず、迷いだらけの人生を歩んでいる」とみています。

■家庭の在り方の変化も背景

  中国で翻訳・出版された上野千鶴子氏著書の一部

 1978年以降の改革開放による急速な経済成長で、中国の人々の暮らしは以前と比べものにならないほど豊かになりました。それに伴い、結婚や家庭の在り方、人々の生き方そのものにも大きな変化が生じました。

 北京の雑誌社勤務のTさんは44歳の未婚女性です。瀋陽出身の彼女は大学卒業後に上京。世界中を駆け巡って取材する、充実した日々を送ってきました。これまでの人生を振り返り、「女性である事を意識したことはなく、また意識されることもなく、普通に働ける人間をめざして楽しく頑張ってきました。気がつくと、結婚適齢を逃していました」と言います。2年前、瀋陽にいる母が突然ガンを患ったため、看病のため半年ほど休職しましたが、その甲斐も虚しく母は亡くなりました。Tさんは、今後の人生をどう生きていくのか、様々なことについて考え込み始めました。そうした中での上野氏の本との出会いは「考え方に幅をもたらせてくれた」と語ります。

 中国国家統計局と民政部のデータによると、中国の婚姻率(人口千人に対するその年の婚姻件数の割合)は2013年の9.9%をピークに年々下がり、2020年は5.8%にまで落ち込みました。また、地域格差も顕著になり、豊かな地方ほど婚姻率が低くなる傾向が見られます。一方、離婚率は2000年の0.96‰から2020年には3.1‰に上昇。世帯ごとの平均人口も1953年の4.3人から2020年の2.62人へと減少しています。

 社会学者の梁建章氏はこの一連の数字を、「家庭の社会的機能の衰退」だと指摘しています。戴氏もまた、「改革開放によって、女性が労働力として市場にどんどん吸収されていった。市場経済を背景にしたジェンダー革命と社会の変化によって、中国の家庭の在り方に危機が生じ、さらに家庭崩壊の道へと向かいつつある」と切り込んでいます。

 数多くの女性が、大家族の一員としての存在ではなく、社会の中で比較的独立した存在として誕生するようになったことが、上野千鶴子ブームの大きな背景の一つになっています。

■ブームはいつまで続くのか

 このブームは今後も続いていくのでしょうか。

 さまざまな見方がありますが、その中には、「ソーシャルメディアの話題に巧みに乗ったコマーシャリズムの成功だ。フェミニズムという課題は、お悩み相談的なカウンセリングではなく、もっと落ち着いた環境の中で、じっくりと議論を深める必要がある」という意見もあります。

 愛読者のSさんは、「上野氏の本が発端となったフェミニズムに関する議論は、中国で始まったばかり。北京では、職場や社会で目に見える形での性別差別を感じることはないが、『30歳も過ぎたのに、まだ結婚しないの?』といった類の見方――女性への見えない差別はたしかに存在している。権力を笠にした部下へのセクハラ報道も耳にする。そういった現実がある以上、上野氏のシャープな分析力と表現力は必要とされ続けるだろう」と考えています。

 世界経済フォーラムが2022年に発表したジェンダー・ギャップ指数の報告では、「世界が男女平等を全面的に実現するには少なくともあと132年かかる」とされており、上野氏の本は今後も、中国や日本に限らず、世界中で幅広く読まれていくと考えられます。

 また、大学教師のGさんは「上野氏の本当の問題意識は、現代社会にいる人間の生き方そのものにある。性別は関係なく、人間がどうすればより良い社会を作り出せるのか。移行期を生きる中国人にとって、そういったアプローチからの発信は有意義な参考になる」と語り、フェミニズムの視点を超え、上野氏の著書の価値を評価しています。

 急速に変わり続けていく中国社会。心のよりどころを探し求めるニーズがある限り、上野千鶴子氏の本は間違いなく読まれ続けていくでしょう。

(記事:王小燕、朱航、校正:鳴海)

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