「絶望に逆行する文学と思想」大江健三郎氏を偲ぶ座談会北京で開催

2023-03-17 15:43:06  CRI

 日本のノーベル賞受賞作家の大江健三郎氏の死去を受け、中国では氏の功績や両国の交流に果たされた貢献を偲ぶ声が相次いでいます。16日には、かつて大江健三郎氏の講演会を開催した北京外国語大学日本学研究センターで、大江氏を偲ぶ座談会が開かれました。

 「絶望に逆行する文学と思想」をテーマに開かれたこの座談会は、北京外国語大学日語学院の熊文莉副院長が進行役を務め、学内外の大江文学の翻訳者や研究者を交えて、約30人が参加しました。  

会場の様子

 大江氏講演会の司会を担当した厳安生元主任教授(86歳)はメッセージを寄せ、「大江氏に心からの敬意を捧げる」と述べたうえで、「弱者のために声をあげ続けていること、歴史的責任に対して高い道徳的自覚から勇敢に責任を担っていること、人類文明の危うさに鋭く切り込んでいること」が大江文学の魅力だと強調しました。

 また、周異夫主任教授は大江氏とセンターのつながりを振り返り、人類そのものや現代社会に共通する問題を深く追求し続けた、尊敬されるべき作家として、その功績を讃えました。

北京日本学研究センター図書館の大江作品蔵書の一部(講談社で大江文学編集担当の小孫靖氏による寄贈)

 2000年9月29日に大江氏が北京日本学研究センター創立15周年記念シンポジウムで講演を行い、「日本語の囲いの中で閉じこもっているのではない文学というものを求めたい。世界に向けて開かれた文学を求めたい」と訴えました。そして、戦中から戦後にかけての世界のあらゆる国の文学者の中で、「日本の知識人に最も強いインパクト、それも痛みに満ちたインパクトを与えた外国の文学者」として魯迅の名を挙げ、自身も魯迅の影響を強く受けてきたと振り返りました。さらに、新世紀の始まりに際して、日本と日本人は、アジア諸国と和解し、お互いの自立的発展の中で、協力しあうことによってのみ希望が見出せるとして、「私は、一人の小説家として、そのためにでき得る限りの努力をしたい」と語りました。

会場の様子

 同センターの秦剛教授はこの講演の内容を詳しく紹介し、「中国人の研究者や学生たちとの交流を非常に重視する大江氏の姿勢を見て取れる」と述べ、“中日が共有できる未来を切り開く”という視点をもって、今後も研究を深める必要性があると指摘しました。

 日本近現代文学専攻の北京師範大学の王志松教授は、大江氏が文学を「和解のための媒介」とする視点に着眼し、「多くの啓発を受けた」と話しました。

 2002年に研究書『トポスの呪力―大江健三郎と中上健次』を日本で刊行した北京第二外国語学院の張文穎教授は、「大江文学が、強い責任感と冷静な洞察力で世界の真の姿を追求し続けてきた。その姿勢は、後世が継承すべきものだ」と述べました。

 大江氏の『沖縄ノート』を中国語に翻訳した北京市社会科学院の陳言研究員は、「常に時代と向き合う作家」であり、「その精神的遺産をしっかりと受け継ぐべきだ」と訴えました。

 『広島ノート』の翻訳者で、大江氏の北京大学での講演会で通訳を担当した北京大学の翁家慧副教授は「大江先生と同じ時代を体験してきたものとして、私にとって大江文学は一生涯をかけて学び続けていくものである」と翻訳や研究への思いを話しました。

参加者一部の記念写真

 大江氏は1960年に日本文学者代表団の最年少団員としての初訪中した後、6回にわたって中国を訪問し、文学者、研究者、そして高校生から大学生といった若者たちと幅広い交流を続けてきました。2002年2月には、のちにノーベル文学賞を受賞した莫言氏と共に、莫言氏の生まれ故郷であり、作品にも度々登場する山東省高密を訪問しました。2009年1月には北京大学で、「本当の小説とは私たちに向けての親密な手紙である。」と題する講演を行いました。この時の講演録は、中国の大学日本語教材『高年級総合日語』(総編集:彭広陸)にも採用されています。(取材:燕 校正:鳴海 写真:葛東昇)

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