【観察眼】民主的でない「民主主義サミット」

2023-02-28 19:33:42  CRI

 昨年末、米国は今年3月に第2回「民主主義サミット」を開催すると発表した。自らが主催した第1回サミットが気まずい雰囲気の中で行われた後も、あえて第2回を開催しようとするのはなぜだろうか。米国にとって「民主主義」は、必要と思う限りどこでも運用できる便利な道具だ。価値観外交に長ける米国政府が「民主主義」という旗を簡単に手放すわけはない。ただ、「民主主義サミット」は誕生時から「反民主的」な特徴をそろえるなど不合理な要素に満ちている。この旧態依然とした米国式茶番劇は最終的には笑いの種にしかならないだろう。

 「民主主義サミット」自体が民主的ではない。

 民主主義とは何なのか。一般的には、多数者による支配を指す。すなわち、社会の最終的な政治的決定権は、個々人や少数者ではなく、全体の中の多数派が握る。各国の民主はいずれも自国の歴史・文化・伝統に根ざし、自国民の実践・模索と知的創造によって成長してきた。中国には「靴が足に合うかどうかは自分にしかわからない」ということわざがある。一国の発展の道が適切かどうかも、その国の人民にしか発言権はない。国際社会には200近くの国があり、米国はそのわずか200分の1にすぎない。それなのに、米国は自らの基準で線を引き、世界の半分の国をいわゆる「非民主国家」に指定している。このように自国と異なる形式の民主を否定し、自らのイデオロギーを他国に押し付けようとするのは典型的な覇権であり、「民主」とは正反対の側に立つ行為である。世界の多彩な政治制度を1つの基準で評価すること自体、民主的ではない。

 民主分野で問題だらけの米国に民主主義のリーダーを務める資格はない。

 米国が「民主主義サミット」で「民主」や「人権」を声高に唱える中、アフガニスタンの大量の民間人が米軍に射殺されたことは誰の目にも止まっていない。建国から240年余りのうち、米国が戦争をしていないのは16年だけだ。第二次世界大戦以降、世界で起きた武力衝突のうち、米国が起こしたものは約8割に上る。米国主導のNATOがアフガニスタン、イラク、シリアに対して起こした戦争により、90万人以上が死亡、3700万人が難民になり、ユーラシア大陸の安定は大きな衝撃を受けた。また、第二次世界大戦以降、米国は50以上の外国政府を転覆させようとし、少なくとも30カ国の選挙に干渉し、50人以上の外国指導者を暗殺しようとした。そのような国が民主主義を語ることは、民主主義に対する最大の皮肉である。

 「民主主義サミット」が国際社会の分裂と対抗をあおり、非難・反対を招いている。

 世界経済の回復力が乏しく、局地的な紛争と混乱が頻発し、グローバルな課題が深刻化する中、国際社会に対して重要な責任を持つ超大国である米国は、意見の相違を埋める努力をして、各国が共同で世界的な課題に対応するよう働きかけるべきだ。しかし、そうするどころか「民主主義」の名を借りて「小グループ」を作って他国を抑圧し、分裂と対抗をあおりつづけている。これは米国が民主主義の破壊者だという真の顔を示す行為であり、国際社会から強く非難、反対されている。

 「民主主義サミット」について、ロシア外相は「国際社会の分断に向けた一歩だ」と批判した。キューバ外相は、「『民主主義サミット』は、自らの外交政策が国際社会で歓迎されないことに対する米国の無力感を浮き彫りにした」と指摘した。また、ケニアなどアフリカ諸国の学者やメディアも、米国が招待したアフリカの国はアフリカ諸国全体の3分の1以下であるため、米国の本当の意図は疑わしいとの見方を示している。さらに中東のメディアは、「『民主主義サミット』は米国式の価値観に基づいて行われる政治的検閲であり、その役目は分裂と対立を引き起こすだけである。米国式の民主主義は世界に害を及ぼすものだ」と主張している。

 民主主義は世界各国人民の権利であり、どこか一国のみのものではない。ましてや他国を圧迫するための政治的道具でもない。人類の文明が多彩であると同様に、各国の民主主義も多種多様であろう。中国では年に一度の全国人民代表大会(全人代)と政治協商会議(政協)の年次総会が今週開幕する。これは世界にとって中国の民主主義の実践を観察する良い窓口になる。中国は西側の民主パターンをそのまま踏襲するのではなく、創造的に「全過程にわたる人民民主」という新しい道を切り開いた。米国には、中国の民主主義を知ることも提案する。(CMG日本語部論説員)

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