北京
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日本最大のポータルサイト「ヤフージャパン」で22日、ジャイアントパンダに関するニュースが国際ニュースのアクセスランキング2位にランクインし、PV数は150万を超えた。世界情勢が揺れ動き、ホットスポットが目白押しの中、一匹のパンダがなぜこのように日本のネットユーザーの注目を集めたのだろうか。
これは日本の大手メディア、テレビ朝日の記事で、中国外交部の汪文斌報道官が在日ジャイアントパンダのシャンシャンの帰国について、「日本のみなさん、シャンシャンに会いに中国に来てほしい」と述べたことを伝えた。ニュースのコメントは1500を超えており、見方はさまざまで、多くの日本のネットユーザーは、なぜこれほど多くの日本人がパンダを愛しているのか理解していないようだ。パンダがかわいいのはその理由の一つに過ぎない。
1972年に中日国交正常化を記念して中国政府は日本にジャイアントパンダ「康康(カンカン)」と「蘭蘭(ランラン)」のペアを無償で贈った。日本の人々が初めて自国でジャイアントパンダを目にしてから、パンダは無邪気でかわいらしいイメージで愛され、日本でブームになった。この2匹のパンダを見に東京・上野動物園に来る人は絶えず、1973年には観客数過去最高の920万人を記録したほどだ。
中国はまた1980年と1982年にそれぞれ日本にジャイアントパンダ「歓歓(ホワンホワン)」と「飛飛(フェイフェイ)」を贈呈し、この2匹は人工授精によって「童童(トントン)」を誕生させた。日本で初めて育てられたジャイアントパンダとして、「童童」は日本で再びパンダブームを巻き起こしている。
その後、「童童」の両親は日本で「悠悠(ヨーヨー)」を出産し、「悠悠」が1992年に中国に帰国した後、「陵陵(リンリン)」が日本に渡った。2008年に動物園の「スター」だった「陵陵」がこの世を去ると、上野動物園の入園者数は一時大幅に減少した。2011年には再び中国からジャイアントパンダ、「比力」(ビーリー)と仙女(シェンニュー)、「シャンシャン」の両親が迎えられた。
その後、2017年6月、「仙女」が雌の赤ちゃんパンダを出産した。これは上野動物園で生まれた3匹目、しかも自然交配によって誕生した最初の赤ちゃんパンダとなった。動物園は7月28日から8月10日まで、赤ちゃんパンダの名前を募集し、わずか14日の間に32万2581件の投稿が寄せられた。日本パンダ保護協会名誉会長、俳優の黒柳徹子ら6人で構成された審査委員会が最終的に8つの候補名を選出した。小池百合子東京都知事は8月25日発表会を開き、名前を「シャンシャン」と正式に発表した。シャンシャンは満半歳でデビューし、初日の入場者は抽選で決まり、当選確率は46分の1となった。
パンダブームはまた大きな経済効果をもたらした。ジャイアントパンダ関連の商品が大量に現れ、シャンシャンは生まれてから3年半で539億円(4億2000万ドル)もの経済効果をもたらしたと、関西大学経済学名誉教授の宮本勝弘氏は推定する。
日本では、最初の時期にジャイアントパンダを目にしたという人もいれば、日本で誕生した最初のジャイアントパンダの見物人もいる。赤ちゃんパンダの名前募集活動に参加した人もいれば、パンダと一緒に育った人もいる……。大切にしていた子供が家を出ていくのだから、別れが名残惜しいのだろう。
シャンシャンが四川省に帰るのを前に、日本の人々が盛大に見送るシーンが両国メディアで注目を集めた。外交部の汪文斌報道官は21日の定例記者会見で、シャンシャンが中日両国人民の友好交流に独特の貢献をしたことを評価した。中日双方は引き続きジャイアントパンダ保護研究協力を展開する。「シャンシャン」たちが中日両国人民に絶えず喜びと友好をもたらし、多くの日本の人々が中国に「シャンシャン」と彼女の仲間に会いに来ることが期待される。
シャンシャンのように、パンダに関する話は、中日両国の交流の中にまだたくさんある。パンダにちなんだパンダカップ作文コンクールは、日本全国の青年を対象に行われた中国語作文コンクールだ。コンクールで受賞した中島大地さんは2019年に、大阪を訪れる予定の習近平国家主席に手紙を送り、挨拶と祝福を述べ、中日間の友好事業に携わろうとする意欲を表明した。習主席は返事の中で、両国の友好により大きな貢献をしてほしいと励ましの言葉を送った。
パンダは中日両国の人々がともに愛する動物である。パンダはそのかわいいイメージで、多くの日本人の心を虜にしている。日本で誕生したジャイアントパンダ「暁暁(シャオシャオ)」と「蕾蕾(レイレイ)」が先月、初公開された時にも入場者は抽選で選ばれ、当選確率は348分の1という倍率だった。幸運にも当選した横浜在住の女性は「日中両国がジャイアントパンダを絆として末永く友好的であり続けてほしい」と話した。
このような美談こそが、中日両国の友好交流の一章を紡いでいる。シャンシャンは帰国したが、両国の友好交流のかわいい使者の暖かい思い出は長く残ることだろう。(CMG日本語部論説員)