鄧小嵐さんと馬蘭村の子供たちの音楽の縁

2022-06-06 15:17:32  CRI

 「紅の川の水は長く、あの空から流れてきて、どこへ行くのか、静かな村……」

これは中国の首都北京に隣接する河北省太行山の山間部にある馬蘭花児童合唱団の子供たちが涙ながらに歌う『美しい故郷』の一部の歌詞です。3月に亡くなったばかりの合唱団の団長、親愛なる鄧小嵐おばあちゃんを、子どもたちが歌声で見送りました。この子供たちは今年24日、北京冬季五輪の開幕式で、ギリシャ語で『オリンピック聖歌』を歌いました。彼らの純粋な歌声は世界を驚嘆させただけでなく、山奥の子供たちを育てるために、10年以上にわたって音楽教育の畑を黙々とボランティアで耕してきた鄧小嵐さんの存在を知らしめました。今回の中国メロディーは子供たちの純粋な歌声とともに、鄧小嵐さんと馬蘭村の子供たちの音楽の縁をご紹介しましょう。

砲火にさらされた子ども時代、村人たちの純朴な愛情に恵まれる

鄧小嵐さんの父・鄧拓氏さんは新中国の著名な指導者で、母は中国ニュース界の先駆者です。戦時中、両親は太行山の山間部にある小さな村、馬蘭村で抗日活動に参加していました。1943年秋、鄧小嵐さんは戦火に見舞われる太行山で誕生しましたが、危険な戦時中だったため、母親はやむなく馬蘭村近くの村民の家に小嵐さんを預け、丸3年親子は別々に過ごしました。砲火にさらされた子ども時代には、激動の時代への不安もありましたが、村人たちの純朴な愛情にも恵まれました。後年、鄧小嵐さんは時々この地に帰ってきました。馬蘭村に何か必要なことがあれば、村の校舎の改装、トイレの改装、貧しい家庭の生徒の支援など、村のためにはどんな力も惜しみませんでした。

馬蘭村の子どもたちに、音楽から栄養を取り入れてほしい

2003年に鄧小嵐さんが村で子どもたちと話していると、歌をうたえる子どもが少ないことに気づきました。彼女は「音楽のない人生はどんなに青白いことか。音楽で子どもたちの心の世界を開くべきだ」と思いました。

その後、北京から来た鄧おばあさんは資金を集めて村の音楽教室を改築し、親戚や同僚から楽器を集め、山奥の小学校の音楽教師として、ピアノ、バイオリン、アコーディオンを教えていました。それからというもの、村のせせらぎのほとりには楽器の音がし、高い山には歌声が流れるようになりました。

2006年には、馬蘭・リトル・バンドが正式に結成され、人里離れた小さな村で、ついに美しい音楽が鳴り響きました。

鄧小嵐さんは「私の人生は音楽に養われてきた。これは中学や大学時代に楽器を学んだ経験のおかげだ。馬蘭村の子どもたちにも、音楽から栄養を取り入れてほしい」と話していました。

2004年から毎月、鄧小嵐さんは北京から山を越えて太行山の奥深くにある馬蘭村を訪れ、村の子どもたちに音楽を教え、楽譜を読み、歌を歌い、楽器を弾くことを手取り足取り教えていました。そして200810月には、バンドを率いて初めて北京中山公園音楽ホールに入り、「馬蘭・リトル・バンドミニコンサート」を開催しました。

18年間に、村では鄧小嵐さんによって手塩にかけて育てられた10数人の子どもがすでに大学の芸術専攻に入学し、一部は卒業後も芸術教育の仕事に従事しています。子供たちは音楽のおかげで運命を変え、小さな村も文化の浸潤のおかげで振興に向かっています。

人生最後の時間を馬蘭村に捧げ、音楽と愛の種をまく

20222月、幾多の選考を経て、馬蘭・リトル・バンドの子どもたちが冬季五輪開会式の舞台に立つことになりました。子供たちが舞台に立って堂々と世界の観客のためにオリンピックの歌を歌い、会場の熱烈な拍手を受けた時、鄧小嵐さんの目には幸せの涙が潤んでいました。

彼女はこの18年間、音楽で山間部の子どもたちの夢に火をつけ、人生最後の時間を馬蘭村に捧げ、音楽と愛の種をまいたのです。

 

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