北京・玉淵潭公園のさくら物語~花は知っている

2022-04-15 17:55:13  CRI


2022年4月2日 玉淵潭公園

 北京には桜名所があります。34種、約2800本の桜の木がある玉淵潭公園です。早咲きから遅咲きまで、約1か月にわたって花見ができるこの公園は近年、毎年延べ100万人規模の花見客を引き付けています。

 1972年、時の田中角栄首相が両国の国交正常化を記念するために、1000本の桜の苗木を中国に贈り、その中の180本が玉淵潭公園に植えられたのが事の始まりです。気候や土壌の違いを乗り越え、苗木を園内で活着させ、しかも、ここを桜名所の公園に育て上げたのには、実に多くの人の深い思いが詰まっています。 

2022年4月2日 桜花大道の両側に咲くエドヒガン

■1973年 里帰りしたオオヤマザクラの葉

 1972年、田中角栄首相が中国に贈った桜の苗木は、北海道東北部の遠軽町で栽培されたオオヤマザクラでした。苗木は北京に運び込まれた後、冬の間は天壇公園で仮植され、翌春に無事葉が芽吹きました。

 北海道からのオオヤマザクラが北京で新しい葉を芽吹いた4月、中日国交正常化実現後の最初の大型訪日団が北京から日本に向かいました。団長は時の中日友好協会会長の廖承志氏。廖氏は、田中首相が主催した茶話会に参加した際、北京からのプレゼントとして、天壇公園からとってきた数枚の桜の葉を手渡しました。その時の微笑ましい一幕は、中日友好を物語ったシーンとして歴史に刻まれています。 

1973年に玉淵潭公園に植えられたオオヤマザクラ(2020年撮影)

■桜とともにいた庭師たち 

玉淵潭公園 八一湖

 植物専門家の目からみれば、北京は桜には向いていない土地柄です。桜は湿潤な気候、やや酸性的な土壌を好むのに対し、北京は雨が少なく、降るとしても7~8月に集中しており、土壌もアルカリ性です。それもあり、日本からの桜を北京に根付かせるには並々ならぬ努力がありました。

 1973年春、180本のオオヤマザクラの苗木が天壇公園から玉淵潭公園に定植されました。大きな湖があるこの公園は比較的湿潤な環境にあることが、桜の活着に適していると見られたからです。受け入れに際し、公園側は北京郊外の霊山から松葉の入っている弱酸性の土壌を運び入れ、土の入れ替えを行いました。 

玉淵潭公園元園林緑化シニアエンジニア 許暁波さん

 1992年から玉淵潭公園で桜の育苗、手入れ、景観造成などを担当してきた元園林緑化シニアエンジニアの許暁波さん(59歳)によりますと、オオヤマザクラは1975年に花をつけはじめました。しかし、さくらが根付き、玉淵潭公園を代表する花になるまでに、その後数十年、何代もの庭師たちの花を愛でる気持ちと丁寧な手入れがあったからと話してくれました。

 「初代庭師の劉樹才さんはトレードマークがキセルにペットの犬。劉さんは桜林のすぐ近くの当直の小屋に寝泊まりし、四六時中、桜のことを気にかけていました。冬が来る前には、紙で幹を包んで守り、夏になれば、種取りのために実を集めていました。わが子のように苗木を守り、育苗しました。

 二代目の孫建軍さんも同じく、春の水やりと秋の施肥を怠らずにやっていました。白髪頭の彼はいつも剪定バサミを手に、根張りをよくするためにどうすれば良いのか、桜好きな人と会えば、いつも時を忘れて話し込んでいました」

 劉さんも孫さんも今は亡き人ですが、49年前に植えられたオオヤマザクラは今も園内に5本ばかり健気に花を咲かせ続けています。元老級のこれらのオオヤマザクラは今では大切な保護対象になっています。

玉淵潭公園 1997年に植え付けたオオヤマザクラ(1973年に定植したオオヤマザクラの種から育てた木 2020年撮影)

■さくらの公園へと変身 

2022年4月10日 園内で写生する親子

 1973年以降もこつこつと桜の数を増やしてきた玉淵潭公園は1989年に、1回目の桜まつりを開催し、10万人の来場者を引き付けました。その3年後の1992年に、許さんはこの公園のスタッフになりました。その後、2020年の定年までの間に、彼女は同僚たちとともに、育種、育苗、植え付け、品種の選定、開花日の予測などなど、多くの難題にぶつかりながらも、その解決に努め、園内の桜の景観を手塩にかけて育て上げてきました。

 ソメイヨシノと杭州早咲き桜、この二つの種類は、許さんが様々なリサーチを経て、公園に導入するよう提案したものです。

 今、園内で最も早く開花することから、「初恋の人」に例えられる杭州早咲き桜は、「標本木」のような存在です。北京の寒い冬を無事越えられるよう、地元の山桜との交配による順化を重ねること20年余り、今は特別な冬支度をしなくても普通に育てるようになっています。

 また、中国ではソメイヨシノを最初に大規模に導入したのは玉淵潭公園です。日本では最も多く植えられているソメイヨシノは白っぽい花を咲かすので、「鮮やかさに欠け、見栄えが良くない」とややネガティブにとらえられていた時期もありましたが、許さんと同僚たちは白い桜の花は青い空、緑の草、湖と色彩的に良く映える上、生命力が強く、成長が早いことを評価し、導入に向け意欲的に働きかけてきました。

2022年4月2日 満開を迎えた玉淵潭公園大芝生のソメイヨシノ

 2001年に、公園西門付近の「友誼桜林」に400本のソメイヨシノが植えられたのに続いて、2005年に西湖のほとりの大芝生にも多数植樹されました。いま、ソメイヨシノが満開の時期、湖水に投影される霞や雲のような風景が春の玉淵潭公園の絶景として知られています。許さんによりますと、北京では、幹の直径が3センチほどの苗木は植樹して3~4年後に見応えのある花をつけ始めますが、立派な木に成長するまでには約10年はかかります。「植樹後約20年になるソメイヨシノは、今は育ち盛りで、花もとてもきれいですよ」と許さんは誇らしげに話しています。

 ちなみに、「ソメイヨシノ」は中国では「東京桜花」「日本桜花」「吉野桜」などの名で知られ、いまは各地で好評を受けている品種です。 

 玉淵潭公園は花見の期間を伸ばすために、早咲きと遅咲きの間に咲く中咲き品種の導入にも力を入れました。10年余りの栽培を経て、ソメイヨシノが吹雪のように乱れ散る頃に、白妙(シロタエ)、思川(オモイガワ)、松前紅緋衣(マツマエベニヒゴロモ)、八重紅枝垂(ヤエベニシダレ)、美麗堅(アメリカ)、大提灯(オオヂョウチン)、蝴蝶(コチョウ)など中咲き桜が、バトンは渡されたように花を咲かせ始めます。 

 

玉淵潭公園の桜 左からシダレザクラ、ヨウコウ、エドヒガン

■共に育てあげた平和と友好の花

 許さんをはじめ、玉淵潭公園のスタッフたちにとって、忘れられない日本の友人が多くいます。公園の桜の品種の拡大と育苗に大きな役割を果した瀬在丸(せざいまる)孝昭さん(横浜在住で、91歳)がその中の一人です。 

2012年4月 玉淵潭公園を訪れた瀬在丸さん(中央)

 1996年から4年間、瀬在丸さんは120種類の桜の苗木360本を玉淵潭公園に贈り、公園の庭師を日本に招き、桜の手入れや接ぎ木による育て方を学んでもらいました。

 「玉淵潭の春を飾る色とりどりの桜は、最初は老瀬さん(スタッフからの愛称)の寄贈した苗木から育てた品種が多いのです」、と許さんはその功績を振り返ります。

 地元神奈川新聞によりますと、瀬在丸さんは1931年、当時日本の植民地下にあった中国東北部で生まれ、父は軍需物資の商人で、軍服を扱っていました。日本の敗戦後、父親がシベリアに連れていかれ、14歳の孝昭さんと母親は逃避行の中、多くの中国人の助けを受け、無事日本に帰国できました。当時の恩を胸に、瀬在丸さんは中国国交正常化の後、中国人留学生の支援活動を通し、中国と深くかかわりを持つようになりました。

 恩人への感謝の気持ちを伝える方法を色々考える中、「桜は日本の花というイメージがある。首都で桜が満開になれば、お世話になった人の目に触れるかもしれない」と思い付き、桜の苗木を贈るようになりました。 

2012年4月 玉淵潭公園から表彰状を受け取る瀬在丸さん 

2012年8月 玉淵潭公園に設置された自身の手形プレートの前で、許さん(右)と記念写真をとる瀬在丸さん(左)

 許さんはこんなエピソードも話してくれました。

 「老瀬さんが北京を訪問した時、行動を共にした時もありますが、旧知の中国農業大学の老教授を訪ねた時に、二人が抱き合って涙をぽろぽろこぼしていたシーンは忘れられません。老教授は子どもの時に南京で暮らし、戦争の悲惨さを実体験した方でした。おそらく戦争の恐ろしさと平和の尊さを実感した人同士でしか共有できなかった涙ではないかと思いました」

■『玉淵桜話』が書きとどめた桜のいろいろ 

許暁波等編著『玉淵桜話』の表紙(2019年3月 化学工業出版社)

 2019年、許さんは玉淵潭公園で桜とともに過ごしてきた26年間の集大成として、『玉淵桜話』という本を編集・著作しました。この本は玉淵潭公園が桜の公園になるまでのプロセスを振り返り、鮮やかな写真を使いながら約40種類の桜を紹介していて、ちょっとした桜図鑑となっています。許さんが執筆を担当した「玉淵潭桜花簡史」という節は次の一句で始まっています。

 「玉淵潭の桜は大自然のプレゼントであり、それ以上に、中日友好のシンボルです」

 そして、締めくくりにこう記されています。

 「(玉淵潭に咲き誇る桜の花は)中日友好のシンボルであるだけではなく、丁寧な手入れをしてくれた人への報いであり、人々の情熱のたまものです。また、百万人規模の花見客から称賛を受け、憧れられる存在でもあるのです」

 2019年、中国からの訪日観光客は史上最高の959万人に達しました。その年の2月、許さんは夫とともに、カワヅザクラの花見が目的の日本旅行に出かけました。お世話になった瀬在丸さんとも7年ぶりに再会できました。

 定年した許さんは、キャリア人生とともに歩んできた桜のことを一時も忘れたことはありません。それもそのはず、玉淵潭公園が郊外に設けた桜の苗木基地には、許さんが現役時代に導入した苗木は少しずつではありますが、元気に育っているからです。  

玉淵潭公園桜苗木栽培基地の様子(2022年4月撮影)

 そして、今の許さんと同僚たちは心に秘めている願いがあります。

 「玉淵潭の桜のルーツはオオヤマザクラです。そのオオヤマザクラは今は本数が減り、それに活性が弱まり、花が咲いてもほとんど実が取れなくなりました。チャンスがあれば、新たに種を入手して、育種して本数を増やしたい。オオヤマザクラが語る玉淵潭との物語を、もっとたくさんの人に知ってもらいたい」

(取材&記事:王小燕、写真:許暁波、曼玲、曙光、魯辺 校正:CK)

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