北京
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第24回冬季オリンピック競技大会が2月4~20日、北京・張家口で開催されました。北京冬季オリンピックの開閉会式を会場の「鳥の巣」で体験した日本人学者の馬場公彦さんに、開閉会式のプログラムや演出の数々から読み取れる中国社会のいまを巡り、お話を伺いました。
【プロフィール】馬場公彦(ばば・きみひこ)さん
1958年長野生まれ。北海道大学文学部卒業、同大学文学部大学院修士課程修了。早稲田大学大学院博士課程修了、学術博士。出版業界で35年間勤務し、定年退職後、2019年から北京大学外国語学院外籍専門家。著書「戦後日本人の中国像」「現代日本人の中国像」「種播人―平成時代編集実録」(中国語)など。
馬場公彦さん(2月4日、鳥の巣にて撮影、本人提供)
■「共に未来へ」の英語訳から察した未来図への構想
――開会式の出だしは二十四節気から始めました。現場で見ていて手ごたえは?
北京冬季五輪が開幕した2月4日は、二十四節気の立春です。丁度24回目の冬季五輪でもあります。苗の演出から命の躍動感が伝わり、同じく農耕民族である日本人として、とても親近感を覚えました。
――現場だからの迫力もある一方で、現場だから分かりづらかったこととかはありませんでしたか?
ありましたね。たとえば、選手入場の部では、最初に出場するのはいつもギリシャ選手ですが、そのすぐ後に、なぜかトルコが入ってきたんですね。気になったので、同じく会場にいた朝日新聞の取材記者・畑宗太郎さんにSNSでそのわけを聞いてみましたら、国名を簡体字で表した場合の筆画順で順番が決まったことが分かりました。私の問いが後日、朝日新聞の記事にもなったことが、今や忘れられないエピソードになっています。
朝日新聞の公式サイトに掲載された畑記者の記事
――「共に未来へ」が、北京冬季オリンピックのスローガンですが、馬場さんはその英語訳の冠詞に着眼して分析しているようですが……
英語訳「together for a shared future」では、冠詞が「a」で、「the」じゃないんですね。つまり、未来図というのは一つじゃないうえ、その未来はみんなが共に歩けるものでなければいけない、というメッセージが読み取れると思いました。
このスローガンが表示された後に、「世界を愛で満たそう」という曲に合わせて、若者達が思い思いの服を着て、横1列で手を取りながら歩いていきました。そして、モザイク写真のように、世界中のいろんな家族の場面、子供が笑っている場面が後ろのスクリーンにざっと流れていきました。「together for a shared future」を絵にしたものだと思いました。
■貧困脱却と小康社会の実現、SDGsに向かう中国も
――開会式では、河北省の山里からの子ども44人がギリシャ語で歌った「オリンピック賛歌」が大好評でしたが……
私も数あるシーンの中で、この合唱が一番感動的な場面でした。中国が2020年に完了した「第13期五カ年計画」で、絶対貧困からの脱却、そして小康社会の実現を宣言しました。つまり、14億人が貧困で苦しむことのない社会、取り残されるような田舎を作らないというような政策を実現したんですね。河北省の山里の子供達が北京の「鳥の巣」で歌ったプログラムはそういう社会への変化・発展を象徴するものだったとみています。
開会式総監督の張芸謀さんは、有名人ではなく、普通の人達を開閉会式の主役にしたところが今回の特徴でした。
――ところで、点火式はいかがでしたか。
正直、会場で見ていて、良く分からなかったですね(笑)。
さあ、聖火ランナーが「鳥の巣」のフィールドを一周して、いよいよ聖火台、聖火台と言っても、雪の結晶ですが、階段を登っていって、さあ、いつ、どこに聖火台があるんだろう、どんな華々しい演出で、どんな大きな炎が立ち上るんだろう、というふうに、かたずを飲んで見ていたんですけれども、最後の最後まで、いつ聖火が点火するんだろうと分からなかったぐらいだったんですね(笑)。
雪の結晶の中心にトーチが据えられる、それだけだったんですね。テレビの実況中継なら解説で種明かしがされていたでしょうが、会場では本当にその意味がよくわからなくて。後で張芸謀監督のインタビューを見て知ったのは、「一本の小さな火を灯す」ことによって、低炭素社会を実現するということが示唆されていたんですね。
■日本人として心の琴線に触れたシーンも
――17日間の日程があっという間に終わりました。今度は閉会式にも行かれたそうですが……
閉幕式で私が最も心を打たれたのは、「折柳寄情」というプログラムです。中国では、友人と別れる時、町外れに生えている柳の枝を折って差し出す儀式がありました。日本でも漢文の教科書などを通してよく知られている唐代の詩人・王維の「送元二使安西(元二の安西に使ひするを送る)」にも、「渭城の朝雨 軽塵を浥し、客舎青青柳色新たなり」という詩文があります。
その時、バックで流れた曲は、中国では卒業式などにおいて惜別の思いを込めて歌う「送別」という曲です。日本では、「旅愁」として知られるメロディーです。原曲は、19世紀のアメリカの音楽家・オードウェイの『家と母を夢見て』。日本では、犬童球渓が音楽教育の歌曲として訳詞をつけていましたが、それが110年ほど前に、日本に留学していた李叔同という方が「送別」という訳詞を付け、中国に持ち帰ったんです。
そういうふうにして、この歌は中国でも歌い継がれ、オリンピックでも使われたわけです。日本人からしても非常に感銘を覚えました。開会式の立春の苗のように、同じく東方の文明に生きる私たちとしては、非常に琴線に触れるセレモニーだったと思います。
――中日のつながりという視点からみれば、古代から近代へと受け継がれてきた文化的絆だけではなく、現代に入ってからの人のつながりもありますよね。
それは、花火の芸術監督・蔡国強さんという方の存在ですね。蔡さんは10年近く、日本の仙台などに滞在し、日本語もとてもお上手です。今や、中国を代表する世界的な芸術家になりましたが、やはり彼のベースには東洋の哲学を美術で表現するという一貫したものがあります。
■「過去に向けたメッセージ」から「未来に向けたメッセージ」へ
――最後に、14年前のオリンピックと比較して、感じたことは?
全体の印象ですが、2008年の北京オリンピックの開閉会式は、過去5000年の中国の歴史をパノラマのように、ドラマ仕立てて見せていました。文化の厚み、ダイナミズム、スケールに圧倒されてしまいましたが、今回は、表面的には中国さというものが極力抑えられていました。しかし、非常に手作り感があり、国家と民族を超えて、「共に未来を歩もう」、みんながそこに入っていけるような親しみやすさを感じた開閉会式でした。
2008年の開幕式が過去に向けたメッセージだとしたら、今回は明らかに今、ないし、未来に向けてのメッセージになっています。しかも、そのメッセージを送る相手は、世界の方というメッセージだったというふうに見ています。
もう一つ、今回の大会では、北京大学からの学生600人も含めて、かかわったボランティアの人数は1万8千人に上るそうです。若い皆さんが国際的な平和の式典という記憶や経験を、今後の実社会の中で生かしていくという視点からも、とても意義のあることだと思います。
(記事:王小燕 写真:視覚中国)
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