「王坤という男」（王坤）

　太原生まれの王坤は、唐の大中四年に国士監に勤めていた。

ある日の夜、王坤の床の前に軽雲が出てきた。この軽雲とは王坤がそのうちに妾にしようと思っていた屋敷の下女だったが、数年前に急死していたのだ。　　

驚いた王坤が声を出そうとしたが、それを優しくさえぎった軽雲がいう。

　「旦那さま。私は死んでも旦那さまと離れたくはありません。ですからこうして旦那さまの前に出てこられました。さ、いいところへ行きましょう」

　王坤はこれに心が熱くなり、相手が幽霊だということも忘れ、起きて軽雲について庭に出た。そして玄関の閂をはずそうとしたが、軽雲に手をとられ、なんと隙間から外に出られた。こうして月の光の下でしばらく歩いたが、王坤は不意に腹が減ったという。これに軽雲は「ここらに旦那さまのお友達の屋敷がありましょう。そこへ行きましょう」という。そこで王坤は同じ国士監に勤めている石貫が近くに住んでいるのでその屋敷まできた。しかし、屋敷の門が閉めてある。

　「人様の屋敷に勝手に入るのはいけませんね」と軽雲が門を叩いた。しばらくして門番が門を開けたが、誰もいないので首をかしげ「何だ？こんな夜中に。誰かのいたずらか？」とまた門を閉める。こういうことが何度も続いたので門番は怒り出し、「誰だ！このやろう。寝ているところを邪魔しやがって！」と怒鳴る。これに軽雲がいう。

　「お友達の石貫さまは、もうお休みになりましたわ。他のところへ行きましょう」

　こうして王坤は軽雲について近くの張という役人の屋敷にきて戸を叩こうとしたが、ちょうど門があいて屋敷のものが外に出てきた。

　「旦那さま、今中へ入りましょう」と軽雲がいうので王坤はうなずき、二人は中に入った。屋敷の者には見えなかったのは当たり前。

さて、この屋敷の応接間で張という役人が、もう遅いというのに、客と飲み食いしていた。そこで王坤は応接間に入ったが、張という役人には王坤が見えない。そのとき、ここの下女が料理を運んできたので、庭にいた軽雲が下女に向かって息を吹くと下女は気を失って倒れ、落ちた皿の割れた音がした。これに張という役人とその妻が出てきてた。口から泡を吹いて倒れている下女を見て妻が叫ぶ。

　「あら？大変だわ！それになんです？この気配は！気味が悪いわ。魔物でもいるのかしら」ということになり、近くに住む巫術師（ふじゅつし）を呼んできた。もちろん客も驚き、庭に出てみている。で、やってきた巫術師は、しばらくあたりを見たあと目をつぶりながら役人にいう。

　「ご主人、どうもここにはおかしな人と女子の亡霊がきたようですな」

　これに役人夫婦は驚き、さっそく台を庭に置き、供え物をして魔除けの式を始めた。で、こちら王坤と軽雲はその間に応接間でたっぷりものを食べ、この屋敷を離れた。すると張という役人は屋敷の前で紙を焼き拝んでいる。

　そこで腹ごしらえした王坤に、軽雲が一緒に行こうというのでついていくと、なんと墓場に来た。驚いた王坤が声を出した途端、目が覚めた。

　「ううわ。何だ、夢だったのか。よかったあ」と王坤は身震いした。窓の外を見ると夜が明け始めていた。王坤は気味が悪い夢をみたので、この日は休み、暗い顔をしていたところへ、なんと友人の石貫が尋ねてきた。

　「王坤どの。お？いかがなされた？顔色があまりよくないが」

　「いや、なんでもない」

　「ところで王坤どの。お宅はどうでござったかな？」

　「え？」

　「というのは、うちの門番の話では、昨夜に誰か知らんが、うちの玄関を叩くものがいましての。出てみると誰もいない。そんなことが何度もありましてな」

　「ええ？玄関を叩くもの？」

　「はい！で、お宅はどうでしたかのう」

　「いや、そんなことはなかったが」

　「実は、そのあと、近所の張さんの屋敷でおかしなことが起きたのをご存知か？」

　「え？張さん？」

　「そう。あんたも友であろう」

　「ああ、ああ。そうそう」

　「で、張さんが昨夜遅くまで客と飲んでいたところ、下女が庭で魔物にやられたというので、近くの巫術師をよび、魔除けしてもらいましたところ、おかしな人と女子の亡霊が来たらしいのですわい。で、魔除けがおわり応接間に戻って見ると、誰かが飲み食いしたあとが残っていたということですわい。おかしいですなあ」

　これに王坤はびっくり。石貫がいうおかしな人と女子の亡霊とは自分と軽雲のことではないか？しかし、それが自分だと認めるわけにはいかないので、王坤はわざと驚いた顔して話を聞いていた。こうして石貫はしばらくして帰っていったが、その日の夜から王坤は具合が悪くなり、病はひどくなる一方で、その年の暮れになんと帰らぬ人となったワイ。やれやれ。

　そろそろ時間です。来週またお会いいたしましょう。