そこで旅人が言う。
「ほら、あの隅においてある石の大きな臼だよ」
「え?あんな汚い臼がかい?」
「ああ。あれはたいしたものだ」
「たいしたもの?」
「うん、まちがいない。あれは宝物だよ」
「あれが宝物?」
「ああ。どうだい?おばあさん、あの臼をこのわたしに売ってくれんかね」
「あんな汚い臼かい?売れ物にならんだろうに?」
「いやいや、わたしの目にはまちがいはない。どうだい。このわしに売ってくださいな」
「そりゃあいいけど。あんなものをいくらで?」
「安心なさい。安くは買いませんよ」
「じゃあ、いくらで?」
「そうじゃのう。金百両でどうだい?」
「え?金百両だって?」
ばあさんは、目を丸くし驚いている。
「どうだい?売ってくれるかな?」
ばあさんは、声を出すのを我慢して、しばらく黙っていたが、やがてうなずいた。金百両で汚い臼が売れるなんて夢を見ているようだった。
これを見た旅人はホクホク顔になり、「じゃあ、さっそく明日にでも人を雇ってその臼を担ぎに来るからね。金百両は間違いなくそのときにお渡しいますよ」と言い残し、戸をあけて雪の中へ消えてしまった。
こちらばあさん、思ってもみなかったことなので、しばらくぼんやりしていたが、そのうちにこう考えた。
「大変なことになったけど、あの旅人は明日来るだろうね。でも、あんな汚い臼を金百両で買うのだから、わしはあの臼をきれいに洗っておこう。でないと、気の毒だよね」
と、ばあさんは、さっそく臼の掃除をし始め、中にたまっていたゴミや灰などをきれいに取って、水で臼を洗い始めた。そしてゴミや灰などを近くの茶畑に運び、雪を掻き分けてそれらを洗った水と一緒にお茶の木の根っこに丁寧にかけた。
さて、翌日大晦日の朝、ばあさんがいつものようにお茶を沸かしていると、かの旅人は何人かの男を連れてやってきた。そしてきれいに洗った臼を見てびっくり。
「あれ?おばあさん、昨日の臼の中の灰などは?」
「え?灰など?ああ。石臼があまりにも汚いのできれい洗っておいたよ」
「なんですと?洗った?」
「どうしたんだべ?汚いものを洗うのがいけないのかえ?」
これに旅人がうなり始めたが、急に「では、臼にたまっていた灰などは?」
「ああ、灰などかい?あれは洗い水と一緒にわしのお茶の木にかけてしまったよ」
これに旅人ががっかり。
「旅のお人、いったいどうしたんだい?」
「おばあさん、大変なことしてくれたね」
「大変なこと?」
「ああ。実はあの石臼はこれまでの灰などがつまっていてこそ、宝物といえるんだよ」
「ええ?!」
「あの灰などをお茶の木にまいてしまったのなら仕方がない。おばあさん、これで昨日の話はなかったことにしてくれ。すまんな」
こういって旅人はついてきた男たちを連れてどこかへ行ってしまった。
こちらばあさん、これを見てがっかりしたものの、どうせ夢だったんだろうとすぐあきらめてしまい、元気を取り戻して米をたき、ご飯だけで粗末な正月を迎えた。
さて、正月も過ぎ、やがて春になった、ばあさんは茶畑に行ってみたが、今年はどうしたことか、いつもより茶の葉が多く、色もよい。そして葉をとってお茶を沸かして飲んでみると、なんととても香りがよく、かなりおいしい。驚いたばあさん、こんなおいしいお茶を自分だけ飲むのではもったいないと、隣近所にも飲ましたところ、みんなもそのおいしさに喜び、こんなすばらしいものができたのだから、ばあさんの十八本のお茶の種を使って苗木を作り、それを近くのゆるい山肌にみんなで植えることにした。
こうして数年後にはこの山肌にばあさんの茶畑でとれるお茶とまったく同じお茶がたくさんできた。そしてここのお茶はとてもおいしいことからすぐに名が知れ、その売れ行きはすごいものだった。もちろん、ここのお茶は村の名前を取って「竜井茶」つまりロンジン茶となったそうな。
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