そして、「万松老人塔」といえば、万松老人高僧をご紹介しなくてはなりません。1215年、モンゴル軍が金中都(当時の北京)に侵攻しました。契丹族出身の政治家である大臣・耶律楚材(やりつそざい)は金中都で万松老人高僧と出会い、彼に師事しました。耶律楚材は博学で、チンギスハンからも重んじられていたことから、西域(古代、中国西方にある国々を呼んだ総称)へ連れて行かれることになりました。出発する前、耶律楚材は万松老人高僧から「以儒治国、以佛治心(儒家思想で国を治め、仏教で心を治める)」の8文字を得て、彼の人生のモットーにしました。1246年、万松老人が亡くなり、西四路口に聳え立つ塔の底に埋葬されました。乾隆18年(1753年)、当初の7階建てから9階建てへとさらに高く改修されました。また、中華民国16年(1927年)に再度修復され、東側の扉を開くとともに『万松老人塔』と命名されました。
1923年、中国の有名な小説家であり、思想家でもある魯迅が磚塔胡同に住居を移しました。彼の代表作である『祝福』、『酒楼』、『幸福な家庭』、『石鹸』などの文学作品はここで完成し、発表されました。そして20年後、魯迅から「中国の鴛鴦蝴蝶派の代表的な作家の1人」と評価された近代小説家の張恨水もここに移り住み、『春明外史』、『金粉世家』、『啼笑姻縁』など数多くの恋愛小説を発表しました。
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