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寧夏ホイ族自治区の西夏王陵と賀蘭山岩画

2010-10-11 10:52:20     cri    
 中国西北部、寧夏ホイ族自治区の中心都市・銀川市は、「鳳凰の町」と呼ばれています。賀蘭山の東に位置し、西夏という古代王国の遺跡が多く残されていることで知られています。自然条件にも恵まれ、銀川市の観光業はここ数年、急ピッチで発展しています。

 11世紀の初めから13世紀初めにかけて、遊牧民族の一つタングート族(党項族)が主体となり、西夏王国が建設されました。同じ時期、中国北部と東北部は金王朝が、長江以南の地域は南宋が支配していました。西夏王国は190年あまり続きましたが、最後はモンゴル族に侵攻されて滅びました。タングート族も分裂し、漢民族などほかの民族に吸収されてしまいました。

 銀川市中心部から西へ30キロ。賀蘭山という山の麓に、西夏国王の陵墓「西夏王陵」があります。「西夏王陵」はほぼ完全な形で保存されており、「東方のピラミッド」と呼ばれています。また、現在までに9つの墓が見つかっています。

  

 「西夏王陵」は1970年代に偶然発見されました。1972年6月、蘭州に駐屯する軍隊が空港の滑走路を建設しようと地面を掘ったところ、陶磁器の破片が見つかりました。また、しっかりとした形のレンガも見つかり、レンガの上には文字が書かれていました。寧夏ホイ族自治区博物館の指導のもと調査を行った結果、地下に陵墓が埋まっているのが確認されたのです。

 墓の壁面には美しい壁画が描かれ、工芸品や陶磁器なども発見されました。考古学者により、墓は西夏時代の陵墓と確認され、レンガに書かれた文字は西夏文字と断定されました。

 その後30年にわたって考古学者たちによる研究が続けられ、貴重な文化財がさらに見つかりました。西夏王朝の人々の暮らしを表現した絵画や彫刻、通貨、銅器なども発見されました。これらの文化財は、西夏王国文化の研究に大きく役立っています。

 長年にわたって研究に取り組んでいる西夏研究所の杜建ロク所長の話です。

  

 「西夏王陵は賀蘭山の麓にあります。東西4.5キロ、南北10キロの広さに及び、面積はおよそ50平方キロメートルです。一帯では歴代国王の陵墓が9つ発見されており、殉死者の墓も100ヶ所以上見つかっています。墓はタングート族の特徴も見られますが、漢民族の影響も感じられます」

 西夏文物考古研究所の研究員・牛達生さんは、初めて西夏陵墓を発掘したときの驚きをいまだに忘れられないと言います。牛さんの話です。

 「規模の大きさに、とにかく驚きました。荒れ果てて物寂しい雰囲気でしたが、非常に神秘的でした。いったいどれほどの文化財が埋蔵しているのか、ワクワクしましたよ」

 最も規模が大きく保存状態が良いのが、3号陵墓です。面積は15平方キロメートル、王朝の初代皇帝・李元昊の墓とされています。この墓の発掘研究は大きな意義があると、杜建ロク所長は「皇帝陵墓で今日まで保存されているのは、最後の王朝・清代のもの以外は西夏陵墓しかありません。このため、西夏陵墓の研究は埋葬の歴史を研究するうえで重要な意義があります。西夏陵墓で発掘された建築材料を見ると、瑠璃が多く使われていることが特徴として挙げられます。また、出土した銅の鋳造品からは、当時の技術の高さが伺えます」と話しています。

 西夏王陵のほか、賀蘭山の岩壁に描かれた絵画も有名です。銀川市の中心部から50キロ離れた賀蘭県金山郷の岩画は最も有名で、およそ600メートルにわたって続く渓谷の岩壁に、1000点ほどの作品が残されています。素朴かつ写実的なタッチで、人間の顔や牛、馬、ロバ、鹿、鳥、狼などの動物が描かれています。

 分析の結果、賀蘭山の絵画はそれぞれ異なる時期に描かれていることが分かりました。題材や表現手法もさまざまで、古代遊牧民族の歴史や文化などを研究する上で重要な手がかりとなっています。

 なお、中国は2004年、賀蘭山岩画をユネスコの世界文化遺産に登録申請することを正式に発表しています。今年9月には賀蘭山岩画博物館が開館し、寧夏ホイ族自治区の観光スポットとなっています。

 美しい景観はもちろんですが、グルメなどさまざまな魅力があふれる寧夏ホイ族自治区。みなさんもぜひ、訪れてみてください。(担当:任春生)

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