機織り屋 鍛冶屋
船から降りると、周荘の古い町並みの保存エリアにつきました。周荘への観光はここがメインです。4つの川によって、古い町並みは8つの横丁となって、それぞれの横丁は1キロほど続いています。現地のガイド、楊さんは次のように紹介してくれました。
「ここの横丁は8つあります。昔は全て住宅でした。横丁の幅は狭くて1メートルぐらいなので、一歩町とも呼ばれています。今は一部の住宅に住民が住み続けているほか、多くの住宅は店となったり、茶館となったりして、観光客を迎えています。たとえば、鍛冶屋、判子屋、豆腐屋、八百屋などの商店があります。30代から80代の観光客はこれを見てみんな懐かしい、懐かしいといいます」
機織り屋さんが織った布は店頭に並べ、売られています。また、鍛冶屋さんは包丁や農作業道具を作り、売っています。また、工芸品として作ったミニ農作道具は非常に人気があり、よく売れています。
昔の露天劇場 蘇州評談
この町を観光しながら、喉が乾いたら茶館で現地の緑茶を心ゆくまでゆっくりと飲むのがおすすめです。この古い町並みに、お客さんがたくさん集まるという意味の茶館、聚賓楼があります。観光客はここで緑茶、ジャスミン茶だけではなく、紅茶やウーロン茶などを飲むことができます。お茶を飲むほか、蘇州の伝統的な演劇の一つ、評弾を鑑賞することができます。
周荘には川が多いほか、橋も多いです。現在でも明と清の時代に作られた橋はまだ14あります。ここで一番有名な橋は、世徳橋と永安橋です。この2つの橋が交差して川をまたいでいるため、双橋と呼ばれています。この2つの橋は、明の時代に作られ、その形が古代の鍵に似ているため、「鍵橋」とも呼ばれています。
周荘の双橋 陳逸飛の作品「双橋」
現在、双橋は周荘のシンボルとなっています。双橋はなぜシンボルになったかについては、こんな物話があります。1984年、アメリカに留学していた油絵の画家、陳逸飛がかつて見ていた周荘の双橋を題材にして「故郷への思い、双橋」という油絵を画きました。この作品は当時のアメリカの石油業界の大富豪、アーマンド・ハマーが買い、画廊に飾られていました。同年11月、ハマーが中国を訪問した際、この油絵をプレゼントとして当時の国家指導者のトウ小平に贈りました。トウ小平はこの油絵を見て、これは中国の風景だとすぐわかりましたが、周りの人に「どこの風景か」と聞いてもはだれも知りませんでした。1985年、この油絵は、国連が発行した記念切手のデザインに選ばれ、国際社会でまたたくまに有名になりました。この風景のある周荘もその後世間に知られることになったのです。その後、双橋は周荘の代名詞となりました。今日、周荘を代表する絵画、写真、資料の中に、双橋がシンボルとして必ず使用されています。
全福講寺 南湖
双橋のほか、周荘にまだ多くの橋があります。橋のほか、明の末期の多くの有名人の邸宅やお屋敷が残っています。
水路めぐり、古い町並み、伝統的な商店、茶館、橋、明の時代と清の時代の古い建物、皆さん、水郷の風景が好きならば、ぜひ中国南部地域、中国一の水郷の町、周荘にお越しください。(文:任春生)
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