今日のカルチャーピックアップでは、人形劇に使う木彫り人形づくりの名人ー今年68歳の徐竹初さんをご紹介します。徐さんは、中国の有名な木彫り人形の彫刻の職人で、彼の名前で命名した「竹初木彫り人形」は内外の多くのコレクターに珍重されるブランドとなっています。彼の祖先も代々、木彫り人形を作ってきました。2007年徐竹初さんは、中国の文化省によって、木彫り人形の代表的な継承者に認定されました。そしてもちろん、息子の徐強さんも木彫り人形の職人です。
徐さんの家はいま中国唯一の木彫り人形の展示館となっています。これが、彼の故郷の福建省漳州の「漳州竹初木彫り芸術館」です。芸術館に入ると、素晴らしい作品の数々に目を奪われます。高さ二、三センチの白いひげのおじいさんや大げさな表情をした道化役者、歴史的な人物など、みな美しい衣装を身に着け、厚い化粧を施してあります。これら大小さまざまな木彫り人形は体のすべての部分が動くようになっていて、目、眉、唇、手足の動きは自由自在。まるで生きているようです。
木彫り人形は木で、人物の形を彫刻したものです。中国ではすでに数千年の歴史を持っています。木彫り人形は歴史的な物語や芝居をモチーフにしたものが一番多く、芝居の形式や産地によって、操り人形や布袋人形など多くの種類に分けられます。子供のおもちゃもあり、人形劇で使う道具もあり、またコレクターの収蔵品にもなっています。
「竹初人形」は布袋人形の一種で、布袋の言われについてこんなストーリがあります。徐さんの話では、布袋の人形は比較的小さいです。福建省では交通が不便で、しかもほとんどが丘陵地帯です。人形劇はほとんど田舎で上演されますから、持ち運びに便利なようになっているのです。なぜ布袋人形と呼ばれるのかというと、昔、体の前に布袋があって、人形を袋に入れて、持ち運んだためです。小さいから、持ち運びしやすいというわけです。また布袋人形は指で操るため、動きが作りすく、特にカンフーのようなアクロバティックな動きに適しています。小さいというのは、大きな長所ではありますが、作るときには、綿密な作業が要求され、とても面倒です。まず人形の頭を作らなければなりません。小さな木をナイフで細かく彫刻し、生き生きとした人物の模様を刻んだ上で、海辺にある黄色い泥を塗り、徐家が長年の研究から作り上げた独特の漆で色をつけます。滑らかな陶磁器のように、鮮やかな色が長持ちします。この作業は非常に難しいのですが、徐さんによると、もっとも大事なことは彫刻を通じて、木に魂を注ぎ込むことだといいます。
徐さんは、よい木彫り人形を作るために、まず生き生きとした表情を描かなければなりません。木彫り人形は木で作られるもので、生き物ではありませんが、人間の手で動かすことによって、生き物となり、命あるものになるといいます。徐さんの家は先祖代々、木彫り人形作りに従事してきました。徐竹初さんは六代目で、10歳から木彫り人形の制作に従事しています。小さいころ、彼は練習のため、家にある全ての模型の木を削り、夜もランプの明かりをつけて練習したそうです。作っているときは一心不乱で、髪の毛がこげていても分かりませんでした。16歳のとき、彼は全国の青少年手工芸コンテストに参加し、特別賞をもらいました。彼の作品は贈り物として外国の元首に贈られました。現在、彼が作った600種類余りの木彫り人形は100余りの国で巡回展示されました。そして、去年、木彫り人形は中国の文化省から「中国無形文化遺産」に登録され、徐さん自身も今年、木彫り人形における「代表的な継承人」に選ばれました。
徐さんの家では昔から木彫り人形の制作技術を家の男子に伝えるだけで、女性や家族以外の人には伝えないという伝統があります。この技術が外に漏れてしまうと、自分たちの家が生き残っていくための唯一の技が保てなくなるというのが理由です。しかし徐さんはこの伝統を自らやめて、技術を息子だけでなく、娘さんや家族以外の弟子にも伝えることにしました。
徐さんは「いまの考え方が昔と異なり、唯一の生きる術というわけではなく、政府の支援もある・・・だからむしろ産業化を目指していくべきであり、余計な心配をするよりも、伝統を受け継いでいくことを優先すべきだ」と考えています。徐さんの息子の徐強さんは9歳のとき、彫刻刀を持ち、父親の技術を継承しようとがんばっています、また娘さんは人形の服装やデザインを勉強しています。息子の徐強さんは「この世界で熟練するのはたやすいことではない。十数年の修行の上で、ようやく父に認められ、跡を継げる。そのためには常に努力を続けてきた」と話しました。「ナイフはよく手を傷つけます。父の側で、彼が彫刻するのを見て、私たちも真似します。しかし度々、怪我をして血が流れます。最初は手伝いしかできず、同時に絵画、帽子、服装などのデザインなどを勉強します。木彫り人形の制作は頭の先からつま先まで全て自分でつくらなければなりませんので、各方面に精通しなければなりません」と述べました。
徐強さんはさらに「最初は手伝いでしたが、だんだん面白くなり、慣れてくると、今度は大切な芸術だと感じてきて、継承していく責任があると自覚してきました。しかし、父の代と違って、人形の制作をしているだけというわけにはいかず、専門の展示館を作り、木彫り人形の市場を拡大し、産業化も進めていかなければならないと考えています。」と話しました。
1996年、諸ヘ州の竹初人形芸術館がオープンしました。古代の木彫り人形の展示だけではなく、人形劇の披露や制作の実演なども行われています。この展示館は諸ヘ州の観光地となり、内外の観光客を受け入れると共に、ほかの地域や国でも展示が行われています。
展示館の館長として、その運営に成功した後、彼は今度は、お土産の開発を始めました。かわいく、ユニークなデザインの人形を作って、来館者のお土産にしてもらおうと考えたのです。
徐強さんは「私は今、木彫り人形を土産品として開発し、また工芸品のひとつとして市場販売しようと試みています。木彫り人形には三つの役割があると考えています。一つは玩具、そして道具、もう一つはコレクションです。演劇などの道具というのは、使用範囲が限られています。玩具としては、今の子供たちは、どちらかというと伝統的なものより現代的なものが好きですから、決して市場は大きくないでしょう。そうなると、観光用のお土産品として市場に出していくのが最も適切で、可能性があるのではないかと考えています。」と話しました。
お土産などの記念品は芸術品のコレクションとは異なり、手工芸品ではなく、機械で制作できます。モデルを作り、決まった模型で作れば簡単にできます。徐さんは今後、人気のあるデザインの人形を開発していきたいと考えています。でも、もちろん芸術品として価値の高い本来の木彫り人形を代々伝えていくことも忘れてはいません。
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