5世紀の初め、仏教がチベットに伝来しました。それから数百年の間、仏教はチベットの土着の原始宗教・ボン教との間で絶えず紛争が起き、紛争の中で、双方の経典が大量に焼却され、寺院も破壊されました。このため、チベット寺院教育は大きな被害を受けました。10世紀下半期、仏教はチベットで復興し、チベット仏教が形成されました。地元の貴族は寺院の建設を支援し、寺院を中心とする仏教教育が盛んになってきました。
チベット仏教の各派も各自の学習内容と教育方法を制定しました。15世紀、チベット仏教のゲルク派(黄教)が起こりました。このゲルク派は戒律が厳しく、修行や理論を重んじ、開祖のツォンカパとその弟子は、明や清の時代の皇帝の冊封を受けたことがあります。こうして、ゲルク派は次代に大きくなり、やがて、チベットの政治や宗教の中心となり、その寺院教育システムもチベット仏教ないしチベット族寺院教育の代表的なものとなってきました。
ゲルク派は学習教程と学制が厳格で、教材が固定されています。そして、整備された試験制度と昇級制度があります。学僧たちは授業や暗誦、弁論を通じて、5冊の経典に精通しなければなりません。これには少なくとも15年間が必要です。弁論は寺院学習の特徴の一つです。毎日、活仏が学僧を指導し、励まし、努力する方向を明確に示した後、学僧は開かれた場で弁論を行います。弁論の中では、さまざまな技巧と手振りを使用することができます。一般的には人をひきつける魅力のある弁論者が優れているとされています。
最高学位はチベット語でコシと言い、仏教博士に相当します。学僧は長期にわたる学習や弁論を通じて、経典を暗誦し、意味を理解するようになった後、教師の指名によって、コシの弁論に参加します。コシは4つに分けられます。最高位をラランバコシといい、年に1回ラサで行われる仏教大会で資格を授与されたコシです。ラランバコシはすでに深い造詣を持つことを示し、ラサの3大寺院であるガンデン寺やセラ寺、デプン寺の住職やゲルク教寺院の重要な職を務めることが出来ます。(トウエンカ)
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