チベット族には独自の言葉と文字があります。チベット語は7世紀の吐蕃(トバン)王朝時代に生まれたものです。当時、チベット族のソンツェンガンポ王はチベット語を普及させるため、自ら大臣を率いて学習しました。当時の学習の場について、多くの学者はデータにのっていないものの、私塾の可能性が大きいと見ています。ちなみにチベット史上で、初の公立学校は8世紀のサムエー寺の建立によって出来ました。
サムエー寺は「チベット初の寺院」で、山南地区ダナン県を流れるヤルツアンポ江北部に位置します。サムエー寺はチベット初の仏教学校です。サムエー寺が建立された後、当時のティソン・デツェン王はサムエー寺で経典を翻訳する場を設け、インドや漢族、チベット族の翻訳者を組織して、中国仏教とインド仏教経典を翻訳し、大きな成果を上げました。史書によれば、当時ここの翻訳者は108人がいました。経典の翻訳には、翻訳者のほか、校訂や書写などの人もいました。レベルによって、これらの人々が異なるランクに分けられていました。それから、チベットでは経典の翻訳用語について統一する規定を定める法令が公布されました。その後、3回にわたった文字の規範化を通じて、今、使用しているチベット語が基本的に形成されました。
当時、経典の翻訳、整理はトバン時代のサムエー寺を代表とする寺院教育を大きく推進させ、寺院教育の最初の教育内容を構成しました。仏教経典の翻訳と文字の規範化の中で作られた理論的著作は翻訳の実践に対する理論的な総括であり、その後の寺院教育の教材にもなりました。当時、多くの貴族の子孫が出家して、仏教を学びました。チベット王のティソン・デツェン王は教師を任命して、サムエー寺で仏法や善行などを教えさせました。その費用はすべて政府によって支払われました。1951年、チベットが平和的に解放されるまで、チベットの教育は寺院教育、特に仏教経典の翻訳ときっても切れないものでした。(翻訳:トウエンカ)
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