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<無錫シリーズ>無錫の刺繍(前半)

2012-08-22 15:00:24     cri    




























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 中国の七回目の「文化遺産デー」を迎えるに当たって、中国無形文化財遺産保護センターの主催による「中華無形文化財遺産伝承人・伝承賞」の受賞式がこのほど行われました。この賞を獲得した梅葆玖や董湘昆ら60人の無形文化財伝承人の中に、無錫の出身者が4人いました。

 今日は無錫刺繍の伝承人・趙玉紅さんについてその前半をご紹介します。

 初夏のある日、無錫恵山鎮にある趙玉紅さんの事務所で、趙さんは自ら弟子を教えています。

 趙さんは「この刺繍した蘭の花はその蘭の花よりずっときれいですよ。しっかり針を持たないと、刺繍したものが凸凹になるし、針目も一直線になりません。この花弁の白の部分をすこし多めに刺繍したほうがいいですよ」と述べました。

 数百年の歴史を持つ無錫刺繍は500年前の明の時代の半ばに繁盛の時期を迎えただけでなく、皇族用の貢物(みつぎもの)にも選ばれました。刺繍を教える初の著書・「繍譜(しゅうふ)」も無錫で誕生したということです。

 1907年、李佩黻と李韵は共に、中国初の民間刺繍団体「錫山繍労働組合」を創立し、無錫刺繍の発展に大きな貢献をしました。

 新中国が成立した後、無錫刺繍の技術は大きな発展を遂げました。1981年、当時の無錫工芸美術研究所の技術者は新しい製品を開発する際、歴史の文献を参考にして、「両面刺繍」という新製品を作り上げました。この両面刺繍は多くの賞を獲得しました。

 趙玉紅さんは無錫刺繍の4代目の継承者で、両面刺繍の創始者の一人でもあります。当時、15歳の趙玉紅さんが無錫市中華繍品工場の技術学校に配属されました。

 趙玉紅さんは「当時は計画経済だから、この業界に入ったのは全く偶然なことです。勉強しているうちに、好きになりました。もっといいものを作ろうと、昼間は刺繍をし、夜は刺繍に関連する絵画の勉強をしました」と話しました。

 現在、趙玉紅さんの刺繍技術が完璧だと認められ、彼女の右に出るものはいません。それにもかかわらず、彼女は刺繍の勉強を続けています。これについて、趙玉紅さんは「無錫刺繍の中には、絵画と書道の要素が含まれており、刺繍したものがいいかどうかはその人の総合的素質と深くかかわっています」と言いました。

 6月9日から開幕された無錫第4回文化観光祭りで、無錫市民は趙玉紅さんの刺繍作品が持つ魅力を再び深く感じました。

 当日朝、大勢の人が趙さんのブースの前に押しかけ、彼女の作品を鑑賞しました。その中に、年配の人もいるし、若い人もいました。

 若者は「会場に入って初めて見たブースです。刺繍作品をゆっくりと見たいです。そして私のミニブログを通して、そのすばらしい刺繍作品の持つ魅力を友達と分かち合いたいと考えています」と述べました。

 無錫シリーズ、今日は無錫刺繍の伝承人・趙玉紅さんについてその前半をご紹介しました。

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