しかし、30年前、義烏は浙江省中部の貧困県で、人口が多く、土地が少ないので、経済と人々の生活が低いレベルにありました。
改革開放して、20年あまりで、義烏が貧困から抜け出し、世界でも名を馳せる日用品の都になったのです。2007年、義烏市の地域総生産420億9000万元、都市住民の一人当たりの平均収入は2万5007元、農村住民の一人当たりの現金収入は1万255元になりました。各項目の経済発展指数は中国の県レベルの町で上位にあります。
今日のこの時間は義烏の30年間の歩みを一緒に振り返りましょう。
30年前、義烏はあまり知られない小さな町で、豊かとは言えませんでした。しかし、ほかの地域と違って、ここに住んでいる人は昔から商売に熱心です。この土地で流行っていた商売の形は「羽毛で砂糖と引き換える」というものです。つまり、農作業の合間を見て、砂糖を盛ったバスケットを担いで、各家庭から羽毛や歯磨き粉のチューブを引き取ります。その羽毛を肥料にするか、或いは箒を作って売ります。また、歯磨き粉のチューブは廃品収集業者に売り、少しはお小遣いになります。
改革開放してから、商品経済が中国で徐々に蘇り、自宅で加工された製品や農産物を市場で売ることができるようになりましたが、他人が作ったものを売ることはまだ政府に禁止されていました。ところで、一部「羽毛で砂糖と引き換える」ことに満足できなかった人が心配しながらも、日用品の売買を始めていました。
この時、5人の子供を持つ農家の馮愛倩さんは、ほかの人が商売で儲かったことを見て、県の中心地の道端で商売を始めました。当時の心情について、馮さんは次のように言っています。
「その時、5人の子供と母がいて、主人の20元の給料ではとても足りませんでした。もう仕方がないと思って、百貨公司で商品を卸して、市場で売ることにしました。その時、そうしてはいけなかったのです」
義烏の民衆の市場で商売をしたいとの声がますます高まり、また、思想が開放された地元政府もいかに地域経済を振興するかを考えるようになりました。1982年9月、当時の義烏県政府は「商業の振興により市を建設する」という大胆な政策を打ち出しました。こうして、農民が商売をすることが許可されたのです。1982年9月、シンプルな初代の日用品市場が誕生して、義烏の経済は高度に発展する幕を開きました。義烏市の李旭航副市長は次のように述べています。
「義烏は土地が少なく、貧しい。地理的なメリットもないので、資源と言えるものはほとんどありません。このような土地は豊かにするには、商売の伝統を生かし、義烏の人の信用、経営及び勤勉に頼るしかありません。1982年、当時の義烏政府は民衆の希望に答えて、『商業の振興により市を発展する』発展戦略を打ち出しました」
「商業の振興により市を建設する」発展戦略の下で、義烏の日用品市場の発展は速く、義烏全体の経済発展を推進する力となっています。賢い義烏の人がクリップ、ボタン、靴下、ライターなど日常生活に欠かせない小さな商品に目を向け、1991年、10年足らずで中国最大の日用品の市場となったのです。
1990年代の半ば、義烏市政府は「製造業を義烏の経済発展の柱とし、「貿易と工業を連動する」戦略を打ち出しました。これによって、義烏の日用品の地元の生産力が大きく向上されました。一部中国、ないし世界でも名を知られる企業は義烏で起業しました。再び、義烏市の李旭航副市長の話です。
「貿易と工業を連動する戦略の実施は成功しました。義烏の市場にある商品の30%は義烏産のものです。また、義烏には2万5000社の企業があり、そのうち、業界で最大規模の会社、例えば、世界ベスト5の靴下製造メーカー、世界最大のストロー、チャック、アクセサリーのメーカーがあります。義烏には企業群があり、日用品の分野で全国でリードして、中国の12分野の日用品の生産基地があります」
2001年、中国はWTOに加盟しました。グローバル経済の下で、いかに義烏の都市整備や経済の構造をグレードアップするかは市政府が直面する大きな課題です。李旭航副市長は、「数回の検討を経て、義烏市政府は国際戦略を実施することにした」として、
「21世紀に入って、義烏政府は都市の競争力と経済構造のグレードアップを考えました。最終的に、中国のWTO加盟とグローバル化のチャンスをキャッチして、義烏の国際化戦略を実施することにしました」
義烏が国際経営戦略を明確してから、国際的な日用品の流通センター、製造センターと研究センターを建設する計画を提出しました。数年間で義烏の国際戦略は大きな成功を収めました。今の義烏日用品市場の面積は400万平方メートルを上回り、店舗数は7万以上、43の業界の40万種類以上の商品が集まっています。さらに、義烏の日用品は世界215の国や地区に輸出され、年間輸出量は50万個のコンテナを上回っています。今の義烏はまさに世界のスーパーマーケットになっています。2005年、国連、世界銀行とモルガンスタンレーが共同で発表した『世界が驚く中国データ』という報告書で、義烏市場は世界最大の日用品卸売り市場だとしています。
低価格高品質の商品及び義烏のここ数年の発展振りはますます多くの海外のビジネスマンに注目されています。イランのハーミド・ナスルさんは義烏で靴下のビジネスをして5年経ちました。多くの外国のビジネスマンが義烏に殺到する理由について、「中国製商品は値段が安く、品質がよいほか、義烏の高度成長と良好な貿易環境も主な原因になる」として、次のように話しています。
「義烏の商業貿易環境がいい。年毎に大きな変化が起きています。6ヵ月前と比べても変化があります。6ヵ月前の靴下市場は違う場所にあり、店舗も分散していましたが、たった6ヵ月で1000以上の店舗が福田国際商業貿易城に引っ越しました。店舗の間に競争があり、靴下のデザインや種類も豊富で、仕入れはやりやすいです」
現在、ナスルさんと同じ義烏に常駐している海外のビジネスマンがおよそ1万人以上います。また、ここで事務所を設けている外資系企業は1900社以上達しています。
今年は中国改革開放30周年に当たり、この前、義烏は中国改革開放のモデルにされました。
「義烏のモデルは改革解放の縮図で、中国モデルの重要な一部です。義烏モデルは社会主義市場経済の発展の筋が見られます。つまり、民衆の意見を尊重し、市場の調整を尊重する一方、政府は全体の経済発展の中で主導権をしっかりと握ったことです」
義烏市政府の関係責任者によりますと、今後の義烏は、国際商業貿易名城の建設を目標とし、国際日用品貿易センター、国際日用品創造センター、国際日用品展示センター、地域の物流と金融の中心地をすることに力を入れていくということです。(翻訳:東 チャック:よしだ)
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