世界的な金融危機から、中国も逃れることはできません。中央政府は10項目の対応策を決め、火事が広がらないようにしようと懸命です。中国経済の牽引車ともいわれる広東省は、輸出企業が多いだけにこれからの取り組みに注目が集まっています。
しかし、改革開放のこの30年を振り返れば、広東省の足跡は目を見張るものがあるでしょう。2007年のGDPは31000億元となり、物価変動などの要素を考えると42.4倍の伸びになるということです。一人あたりのGDPは33151元、約4000ドルになる計算で、中程度の発展国家の水準といわれます。全国のトップランナーを19年連続して続けてきた広東省をCRIの取材チームが、この目で現地を見てきました。異色の経営者に会うこともできました。
広東省の深センが経済特区に指定され、奇跡の発展をとげたことはよく知られています。その北、30キロのところに位置するのが東莞市です。30年前は小さな農業の町でした。1978年、この町に唯一の工場、太平手工庁が作られました。手提げ袋やバッグの加工貿易業でした。いま、この企業はありませんが、農業の町から工業都市に変貌する第1号でした。
それから30年、年平均のGDPは18%という速さで伸び続け、IT、靴、玩具の町として名をはせています。外資系の企業は1万社を超します。こうした背景には何があったのでしょう。東がん市共産党委員会の王道平常務委員は次のように話しました。
「改革開放の考えを固く守り、外資が進出しやすい環境を整えたこと。80年代は香港からそして90年代は台湾からの企業誘致を進めました。「香港や台湾に近い地の利、そして広東省の華僑、華人のつながりを利用できたことが大きい。環境が同じではないので、その町、その町で対応策は変わるでしょう。だからモデルにはならないでしょう」と王道平委員は控えめに語りながらも、次なる発展戦略を模索しているようでした。
それにふさわしい場所のひとつ、松山湖科学技術産業パークを訪ねました。松山湖という湖を中心に、先端的な科学技術工業地帯にしようというもので、2002年に建設が始まりました。四つの大きな区域に分かれています。単なる生産基地だけでなく、研究開発、教育、行政、観光などにも目配りしています。そして、なによりも生態環境を重視するという考え方です。IT関連のほか薬品などの先端産業の進出が目立ちます。世界500強企業のうち、すでに10社がここにやってきました。
ここで電子部品の自主開発に取り組む東方集団(易事特)イーストは、特に注目を浴びています。CEO最高経営責任者は精華大学卒で博士号をもつ何思模さんです。
イーストで作られたUPSと呼ばれる大型電源装置は、青蔵鉄道、北京五輪、神舟6号など国中を沸かせたさまざまな場面で使われました。2010年の上海万博の会場でも役立つはずです。
何さんは精華大学に在学中に3000元の資金を元手に会社を作りました。従業員は一人。それがいまでは4100人を抱えるまでになりました。松下電器産業(現パナソニック)の創業者、松下幸之助氏の伝記を5回も読んだそうです。そこで学んだのは「努力すれば報われる」ということでしょう。
「改革開放がなかったら、今日の私はありません。もしかしたら、出身地の安徽省で農作業をしていたかもしれません」と冗談まじりに語る何さん。しかし、「毎日が危機に臨んでいるようなものです。努力しなければ企業は3ヶ月も生き延びれないかもしれませんよ」と真顔になりました。
しかし、利潤追求第一というわけではありません。大学生への奨学金や社会への義捐金提供を続ける何さん。子孫にお金は残さない、が哲学です。
企業の社会的責任は何でしょう。彼はきっぱりといいました。「まず職員の生活を守ることに全責任があります。次に株主そして国家への責任を果たすことです」(文:よしだ)
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