フィリピンの新聞マニラ・スタンダード・トゥデイはこのほど、「黄岩島は確実に中国に属する」と題したフィリピンの投資家による署名入りの文章を発表しました。文章は以下のように書いています。
黄岩島は確実に中国に属している。1279年の元の時代、中国は黄岩島を発見し、自らの地図に表記した。中国大陸と台湾の漁民も当時からこの海域で漁を行ってきた。元のクビライの下で働いていた当時の天文学者、エンジニア、数学家の郭守敬が南海で測量を行い製図したが、測量の基準点は中沙群島の一つである黄岩島だった。
このような状況に比べ、我々フィリピンの外務省が出した自らの領土を表す「古代地図」は1820年に制作されたもので、中国の地図より540年以上も遅れている。エドガルド・アンガラ上院議員はこの540年以上も遅れている地図は中国の地図よりも説得力が高いとしたのには驚かされた。
もう一つ驚いたのはホアキン・ベルナス神父が4月22日に他の新聞に発表した文章だ。1987年の「フィリピン憲法」の制定者の一人として、1982年の「国連海洋法公約」をフィリピンの主権を守る証拠としていた。その後彼は、黄岩島はフィリピン領土を確定したパリ条約が定めた地域外にあるという事実を認めた。
フィリピンは1946年、アメリカによる植民地支配から独立した際に、我々の確かな領土は何かをわかっているはずではないのか?そして、1899年、1935年、1943年、1973年、1986年及び1987年の歴代憲法にはどうして南沙群島と黄岩島を自らの領土に加えなかったのか?我々は突然どこから誰の手からこれらの島を手に入れたのか? 1970年代の後半、中国は黄岩島及び付近で科学的な調査活動を行い、その後石碑を建てた。しかしフィリピンは1997年に授権を経ないままこの石碑を撤去した。
90年代までにフィリピン政府が発行したすべての地図は、南沙群島と黄岩島を自らの領土に加えなかった。1961年、我々の議会が共和国第3046号法令を承認したが、これらの島の保有を制止するものだった。
48年を経た2009年3月10日、我々はこの法令を修正し、一方的にこれらの争いのある島の保有を宣言した。
しかしあやふやにはできない事実が存在しており、3つの国際条約がこれらの島々の中国の領有権を支持している。1898年の米国とスペインのパリ条約、1900年の米国とスペインのワシントン条約、1930年の英米条約である。3つの条約はいずれもフィリピンの領土の西端を東経118度と明確に定めている。
一方、フィリピンが主張しているそれらの島の領有権の根拠は1982年の「国連海洋法公約」だけだ。私はこれは公約に過ぎず、植民国間で締結された条約及び協議を覆したり、取って代わることはできない。たとえこれを一つの法としても、さかのぼって発効したり、過去の事実を変えたりすることはできないと考える。(万、吉野)国際・交流へ
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