去年の3月11日、東日本は地震と津波に襲われました。宮城県東部の石巻市も被災地域のひとつです。あれから1年、被災者はどう暮らしているのか、その傷は癒されるのか、CRI東京駐在記者が石巻市にある大橋仮設住宅を訪ねました。
石巻市の北部にある大橋仮設住宅は、サッカー場くらいの広さです。そこに地震や津波で住宅を失った被災者、1150人が暮らしています。
この住宅区の自治会長の山崎信哉さんは、震災後一時、娘さんの家で暮らした後、石巻市内にマンションを借りていましたが、去年6月に、この仮設住宅に引っ越してきました。現状について、山崎さんは、「安定しているといえば、、、決まった居場所ができましたからね。娘の嫁ぎ先では落ち着かないです。家内と二人で暮らせますし、ここにいられるということなので、気持ちは落ち着きましたね。ほっとしました」と語りました。
同じ仮設住宅に暮らしている茄子川節子さんは、石巻市の海辺に住んでいました。津波から逃げ切った光景をはっきりと覚えています。「私の家は通りから50メートルくらい入ったところで、少し高台になっているし、まさか津波が来るとは思わなかったです。車で逃げようとしたら停電で信号が止まってひどい渋滞でした。そこで急遽、避難先をスーパーの屋上駐車場に変えました。私たちは、一番最後だったんです。その後にすぐ津波が来ました。間一髪でした」と振り返りました。
被災直後の生活と比べて、茄子川さんは今の生活に満足しているようです。「姉のところに2ヶ月半いました。姉妹でも、やっぱり長い時間過ごすと……。だから、仮設に入りました。私は今、幸せだと思います。あの時は水も、電気も有りませんでしたし。屋上に避難した時も、三日間は車の中。車の中でも、ガソリンが半分しかないので、車内が温まったら消す。温まったら消す。こうして、夜を過ごしました」。
自宅を再建するのは、今の茄子川さんにとって、不可能に近いことですが、唯一の期待は、被災者向けの公営住宅にできるだけ早く引っ越すことです。
東日本大震災から1年が経ちましたが、傷ついた心が立ち直るのは、住宅の再建より時間がかかりそうです。山崎さんは、「大事な家族を失った方々が、いっぱいいました。時間が経てば経つほど、心の傷が深くなるんじゃないかなと思います。それから、原発の被害者の心の傷を考えると、何十年かかるのかなと思います。でも、切り替えて前向きに生きなければなりませんから、皆頑張っていくと信じています。人生、あと何年あるか分からないですけど、頑張ります」
災害がもたらしたのは、物質的な損失だけでなく、人々の心の中に刻まれた傷もあります。各界の援助のもと、被災者の方々の心の痛みが癒えて、できるだけ早く新しい生活を迎えることができるよう願うばかりです。(取材:謝宏宇、王洋 編集:李軼豪)
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