2008年5月12日の四川大地震発生直後、それから震災後1周年の前夜、そして3周年となる前夜、撮影者は3度にわたって地震被災地へ赴き、カメラで地元の子どもたちの3年間の変化を記録しました。現在、子どもたちの生活はすでに安定しており、その顔に見せる笑顔はその場所で最も暖かみのある風景となっています。
左:四川省綿竹市九龍鎮新龍村にて。当時8歳だった楊雲琪さんが廃墟となった自宅の前に立っています(2008年5月27日撮影)。楊雲琪さんは当時、綿竹市九龍鎮中心小学校の二年生でした。地震発生時には学校の校舎が倒壊し、彼は自力で小さな穴を開けて小さな手を外へ出したことで救出されたのです。右:楊雲琪さんが再建された九龍鎮中心小学校の校門前に立っています(2011年5月2日撮影)。
左:四川省什邡市偂氐鎮にて。当時13歳だった張帥さんが治りかけの手を見せています(2008年6月25日撮影)。地震の時、張帥さんは自分の右手の指が負傷したことを考えずに、廃墟の中から同級生3人と妊娠8ヶ月の先生を救出しました。彼自身は救出活動を行ったために治療の時間が遅れ、負傷した右手の小指は切断されました。中:張帥さんが地震後に就学していた成都金橋高級芸術小学校の校門前に立っています(2009年5月9日撮影)。右:張帥さんが就学中の成都実験中学校の校舎から出て来ました。(2011年5月6日撮影)。現在、彼はクラスのバスケットボールチームのメンバーとなっています。
左上:四川省什邡市エイ華鎮仁和村にて。当時5歳の方俊傑さんが廃墟となった自宅の前でインスタントラーメンを食べています。(2008年5月19日撮影)。左下:方俊傑さんが板房幼稚園で授業を受けているところです。(2009年5月6日撮影)。右:父親が新しく購入した自動車で遊ぶ方俊傑さん(2011年5月8日撮影)。
上:四川省綿竹市漢旺鎮武都村にて。当時11歳だった周永虹さんが廃墟となった自宅で髪を洗っています(2008年5月27日撮影)。地震の時、周永虹さんは漢旺鎮馬尾小学校の教室で宿題をしていました。建物が倒壊し、彼女の左足は廃墟に挟まってしまいましたが、十数分後に救出されました。大きなけがはなかったものの、地震の衝撃でぶつかった前歯が一つ抜けてしまいました。下:周永虹さんが自宅の鏡の前で髪を梳かしています(2011年5月8日撮影)。周永虹さんの一家は2010年6月に新たに建設された住宅団地の漢旺新村紫雅住宅団地に入居しました。(翻訳:玉華)
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