1995年、第二次世界大戦が終わって50周年の節目の年に、戦後50年、日本が歩んできた道を顧み、多くの国々、とりわけアジア諸国に反省やお詫びの意を表す談話をはじめて発表したことから、中日両国だけではなく、世界各国の人々にもよく知られる村山富市さんがこのほど、北京にやってきました。
12月9日、村山さんが書いた回想録『私の履歴書』の中国語版の出版式典およびサイン会が、北京の西単にある大型書店・図書大廈で行われました。
中国語版の名前は『我的奮闘歴程』(私の奮闘記)です。村山さんの重要な談話、インタビューなどを織り込んで、一人の庶民から日本の政界の頂点に立った、その人生の体験を綴った自伝的な本です。読者は、この本を通して、日本の風俗習慣、戦後以来の政治や社会の変革、そして村山さんの平和を愛する思想などを読み取ることができます。
この本の中国語版には、村山さんの特別な思いが込められています。
「戦後60周年、日中両国の関係はさまざまな困難を乗り越えて発展してまいりました。そこには、多くの人々による真剣な対話があり、それによって相互理解が深まってまいりました。
この本を手にされた方々が、私の80年の歩みを通して、日本への理解を少しでも深めていく一助になれば、こんな嬉しいことはありません」(村山富市)
この中国語版の発行には、ある中国人の存在が大きな役割を果たしました。
日本翻訳家協会会員、中国社会科学院客員研究員の王雅丹さんです。
5年前、王さんは、日本の戦争責任について書かれた『今はつぐないのとき』という本の中国語の翻訳を担当したことがありました。その中国語版の出版に際して、中日友好のシンボルと言われる村山富市さんに推薦文を書いてもらおうと考え、友人を介して、紹介してもらいました。それで、村山さんが回想録を書いていることを聞いて、「中国の民衆、特に若者は、『村山談話』の存在さえ知らないのが事実です…この本を通じて、もう一度、10年前の『村山談話』を思い出して、中日友好の原点に戻ることが両国にとって大切なことだ」(王雅丹)という思いから、村山さんに『私の履歴書』の中国語版の出版を薦め、みずからその翻訳をかってでました。
こうして、『我的奮闘歴程』が出版されました。サイン会の当日は、年齢、職業を問わず大勢の中国人が駆けつけました。彼らは、村山さんご本人と実際に会った感想を語り、将来の目標を決めました。
「村山さんはもう80歳になられましたが、中日関係に貢献する姿勢に、本当に頭が下がります。彼のような政治家が多くなれば、両国の関係がよりよくなると思います…」
「私たちは、『村山談話』を習ったことがあります。村山さんが中日友好に貢献し、年を取ったいまも、両国の友好に力を注ぐ姿を見て、本当に感動しました。私たちは、村山さんのように、中日友好に貢献したいと思います…」
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