ここ数年、北京にやってくる日本人留学生の数は、だんだん増えています。彼らは、中国語を学ぶと同時に、勉強以外の活動にも積極的に参加しています。神戸出身の海吹ショウさんが、そのうちの一人です。海吹さんは、自分を中日交流の架け橋のボルト(ねじ)に喩えています。
小さいときから、「音楽をやることが格好いい」と思って音楽を始めたという海吹さん。13歳のころ、ずでにバンド活動をし、ライブハウスに通っていました。そしてある日、「吉本興業」からスカウトを受けたのです。そこで経験を積み、勉強を重ねて、デビューを果たしました。日本での音楽活動は大体ソロで、自分で作詞、作曲と編曲を全てやっているそうです。
海吹さんは、北京に留学に来たきっかけも、音楽とかかわりがあるそうです。
去年9月、東京で行われた第7回日中カラオケコンクール全国大会で、最優勝賞を受賞し、中国大使館から特別賞として中国留学奨学金をもらったことで、北京留学が決めたのです。
今年9月から、北京での留学生活を始めた海吹さん。留学生のイベントなどで歌ったり、バーなどでライブをしたりしています。その歌は、自分で作詞作曲したものも多いし、日本の歌を中国語にアレンジしたものも多いです。
そのうち、ご自分で作った「月見草」が特に有名で、海吹さんにとって一番大切な曲です。「月見草」にはこんなストーリーがありました。
小さいときから、海吹さんは、お父さんから「亡くなった人はあの月に帰るんだよ」と聞かされていました。数年前、海吹さんにはダンサーをしている彼女がいました。しかし、彼女は偶然、この世を去りました。いま、夜空を見上げると、闇に光りを放つ月は、ステージで輝き続けていた彼女のように見えます。でも、それを見上げるしかできない自分は、まるで月見草のよう、という思いで「月見草」を作ったそうです。
いま、北京で4ヶ月過ごした海吹さんは、中国人の友達がいっぱい増え、その歌も人々から支持されています。これからも自分の音楽活動を通じて、中日両国の理解を深めていきたいとの抱負を語ってくれました。
「いま、やっぱりお互いに誤解している部分があると思うんですが、音楽という共通語を通じて、そういう誤解を少しずつなくしていくと、それはいつか理解に変わっていくんじゃないかな…日中友好の架け橋というのを文句に活動しているアーティストとか、日本人とかいるんですけど、自分はいつも信念を持ってやってきたのは、架け橋じゃなくて、その架け橋をつなぐボルトの一つが一番大事というので、今後生きているうちに、橋を架けるのは無理ですけど、その途中まででもしっかりと緩まないボルトを作っていくのが使命じゃないかな…今後も頑張って行きます…」
海吹さんのおっしゃったとおり、大きなことはできなくても、小さなことを積み重ねていくことで、一つ一つゆっくりと、でも確実に中日交流の絆を作り上げる力になりたい!取材をした私たちも改めてそう感じました。
|