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8月9日 火曜日

2016-08-09 15:45:05     cri    

一時間目 ①卓球・福原愛は何故中国で人気があるのか、②中国のネット配車サービスの最新動向

担当:王小燕、白昊


 立秋が過ぎたとはいえ、まだまだ残暑が続いています。オリンピックでは、熱戦が繰り広げられています。夏休みムードがあふれる北京からお送りする今週の番組は、先ず最近届いたリスナーのお便りを紹介します。

 五輪関連で中国のメディアで話題になっているのは、卓球の福原愛選手です。CCTVのカメラに向かって、こてこての中国の東北弁で早口言葉かと思うような受け答えをしました。これが、ファンの心をくすぐりました。中国メディアからは「愛ちゃんのいるところは必ずニュースがあり、笑いがある」と言われています。何故、中国人の心をつかんだのでしょうか。

 続いては、中国のネット配車サービスの最新動向です。スマートフォンの普及と共に、スピーディーに全国に広まった「ネット配車サービス(網約車)」。グレーゾーンだった運営が、つい先日の7月28日に合法化しました。その直後、最大手の「滴滴打車」は2位につけている米国系「ウーバー」の買収を発表。これにより新生「滴滴打車」が利用者の約9割を抱える見通しです。これまでネット配車市場では熾烈な競争が繰り広げられてきましたが、今後は「滴滴打車」の独占状態になってしまうのか。料金もサービスと共に上がっていくのか等、注目されています。

二時間目 【私にとっての戦争と平和】北京の思い出~三田満さんに聞く①

 戦争と平和について考えさせられる季節。昨年に続いて、今年も特別企画「私にとっての戦争と平和」をお送りします。今回から3回にわたって、三田満さん(86歳)に伺います。

 三田さんは、日本の植民地支配下の現在の韓国仁川(インチョン)に生まれ、小学校卒業まで滞在。その後、北京(当時「北平」)に移り、中学校の約4年間は北京で暮らしました。1945年、16歳の年に、少年兵として召集され、初めて日本の土を踏みました。海軍航空隊の予科練に入隊しましたが、程なく日本は敗戦を迎えました。軍隊体験はわずか数か月でしたが、生涯忘れることのできない深刻なものだったと振り返ります。その後は廃墟から這い上がった日本社会と歩みを共にし、生活の糧を稼ぐために全国を転々としました。定年退職後は中日友好事業に身を投じ、これまでに30回あまり中国を訪問しています。

 「人生で最も多感な年頃を過ごした北京は、心の中では故郷のようです」

 第1回のインタビューは三田さんが今も懐かしく、毎年必ず訪れている北京の思い出です。当時中学は5年制でしたが、戦況のエスカレートに伴って、中学生でもどんどん軍隊に入隊していくようになっていました。三田さんの少年時代も、北京を離れ少年兵になったことで、終止符が打たれました。一人息子の出征への寄せ書きに父親が書いた一筆は、今でも忘れられません。それは、「桐の小箱になって帰ってちょうだい」でした…

 【プロフィール】

 三田満(みた みつる)さん

 1929年12月 現・韓国仁川(インチョン)生まれ。

 1935年 父(久保田鉄工所庶務課勤務)が北京へ転勤

 1942年2月 中学受験のため北京へ(北京中学校4期生)

 (1945年まで両親と共に、天安門近くの北池子にある四合院で暮らす)

 1945年4月 土浦海軍航空隊予科練入隊のため、単身で初めて日本の土を踏む。

 土浦海軍航空隊の入隊と共に、藤沢にある同航空隊分校にあたる海軍電測学校に編入。

 日本の敗戦後、母方の祖母が住む熊本に復員。

 天草、対馬、福岡、大阪、東京など各地を転々として、アルバイトで生計を立てる。

 1954年、アメリカ銀行(バンク・オフ・アメリカ)の米軍向け窓口業務の仕事をしながら、早稲田大学政経学部の入試に合格。

 卒業後、コネクタやレジスタなどを扱う外資系企業のAMP、NCR、ドットウェルなどでの勤務を経て、中小企業診断士の資格取得。友人と共に、電子部品の会社を自ら経営。65歳の定年退職と同時に神奈川県日中友好協会に入会。中国語の学習を始めると共に、留学生に日本語を教えるボランティアを務める。

 その傍ら、神奈川県徐福研究会、日中未来の会など中国との文化や歴史的なつながりを研究し、将来に向けた中日関係を考える民間団体で、中国や中国人との交流を深め続けている。

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