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1月16日 金曜日

2015-01-16 19:27:27     cri    


 一時間目:日本語部の専門家・高橋恵子さんは、2014年11月、浙江省の仏教の聖地普陀山を旅してきました。本日の番組では、高橋さんは現場リポートを交えて、普陀山の全体の様子及び普陀山のシンボル・南海観音像、そして普陀山へのアクセスなどをご紹介します。

 中国には4大仏教名山、仏教の聖地があります。それらは山西省の五台山(文殊菩薩)、四川省の峨眉山(普賢菩薩)、安徽省の九華山(地蔵菩薩)、浙江省の普陀山(観音菩薩)です。

 日本で広く信仰される主な菩薩としては、母性的なイメージ観音菩薩、はるか未来で人々を救う弥勒菩薩、女性に篤く信仰されてきた普賢菩薩、知恵を司る文殊菩薩、子供を救うとされ、道端にたたずみ最も庶民の身近にある地蔵菩薩です。

 観音菩薩は海上に浮かぶ船中で、たとえ暴風雨のため羅刹鬼国に漂ったとしても、もし一人が観世音菩薩の名を称えれば、みな難を逃れると説いているため、船乗りに篤く信仰されました。

 中国の浙江省の舟山群島には、大小様々な島嶼があります、その中に普陀山があります。つまりは南海に浮かぶ島です。杭州湾の出口から東海上を東に約100海里にあり、全島面積12.5平方キロメートル。細長い形をした島で、最高地点は仏頂山で海抜約300メートル。行政的に浙江省舟山市普陀区の管轄下に置かされています。中国4大仏教名山のうち、唯一の海上聖地であり、「海天仏国」とも呼ばれます。

 現在では普済寺・法雨寺・慧済寺(仏頂山寺)を中心に、大小の寺院と多くの観音菩薩にまつわる遺跡が存在しています。僧侶の数も多く、盛んに法要が営まれています。また全国から観音菩薩を拝する人が訪れ、観光地としても有数の地区になっています。年間360万人を超える観光客が訪れます。

 当地が観音霊場となった由来は、916年、中国への渡来僧である慧萼(えがく)が、中国留学を終えて日本に帰国しようとした際、日本に招来しようとした観音菩薩が当地で日本に渡ること拒んだ(不肯去)という故事にちなんでいます。

 さらに観音菩薩が実際に居住する地として、『八十華厳経(大方広仏華厳経)』入法界品に「南方に山あり、補怛洛迦と名づく。彼に菩薩あり、観自在と名づく」とあるように、観音の住処は補怛洛迦(補陀落)なる場所であることが説かれました。

 そのため、かつて梅岑山と呼ばれた島は、観音の住処である「普陀山」と名付けられました。「普陀」とは「補陀落」のことで、梵音のポタラカの音写です。これは観音の住処を意味します。

 普陀山には巨大な観音菩薩の像「南海観音」があります。南海観音の像は、1997年に作られました。この台から南方の海を見渡す風景は絶好です。

 南海観音銅像は高さ19.4メートルです。約54万元を費やして建立されたそうですが、台湾人1人の寄付によってその大半を賄ったそうです。

 二時間目:日本語部の専門家・高橋恵子さんは、2014年11月、浙江省の仏教の聖地普陀山を旅してきました。本日の番組では、高橋さんは現場リポートを交えて、普陀山のメインの観光スポットの紫竹林禅院、不肯去観音院と潮音洞などご紹介します。

普陀山は、中国仏教4大聖地の一つで、小さな島ながら百を越える寺院と千人を越える僧侶が暮らし、島全体が「海上仏国」と称される観音霊場です。その全てを見て回るには、1泊2日が必要です。普陀山は遊歩道が整備され、ゴミもなくとてもきれいです。また、マイクロバスのみ。タクシーなどはありません。瀬戸内海のように島影が多い海を走り、やがて緑の小さな島に接岸し、港には金色の文字で「普陀山」と書かれています。

高速船を下りて、まずは徒歩で島内ツアーが始まりました。寺の数が百を越えるだけあって、港の前にも小さな寺があります。線香や土産物を扱う商売っ気たっぷりの寺も多い。ツアーの半分が線香を買いました。

紫竹林禅院は普陀山三大寺院では最も大きく、中国でも有数の仏教寺院です。黄色に塗られた壁や屋根は、もともと皇帝にしか許されていない黄色を特別に勅許されたもので、常に老若男女の捧げる線香の煙がたなびく境内は広く、楠の老木が生い茂って独特の落ち着きがあります。

 観音菩薩を祭る本殿は円通宝殿と呼ばれます。この本殿の前に天王殿があり、その前は門と大きな池があります。門の外はお線香や紙銭や法具を売るお店でひしめいています。

不肯去観音院は1980年に唐代に普陀山に観音をもたらした日本僧恵萼の事績を記念して建立されました。そのためか不肯去観音院の本堂は中国最古の木造建築(唐代)である五台山南禅寺に似ているような気がします。

 潮音洞は恵萼が最初に観音像を安置した場所だとされ、深い信仰を集めました。信仰に熱心なあまり、宗教的投身自殺が行なわれたこともあります。

 明代に倭寇が中国沿岸を襲撃すると、普陀山は浙江省当局によって無人の地に定められ、そのため寺院はすべて廃寺となり、寺院の廃材や、仏像以外の仏具のすべて、古文書や石碑のことごとくが当局によって潮音洞に投げ込まれたといいます。

 現在潮音洞には「潮音洞」の扁額が掲げられています。これは清代の康煕帝が書いたものとされます。916年に日本の僧侶である慧萼が開祖。観音菩薩は「不肯去観音」と称されており、そのお堂は「不肯去観音院」と呼ばれます。

 普済寺は普陀山の中心的な寺院で、観音信仰の中心地です。前身は、観音菩薩の聖地となった由来のある不肯去観音院です。明や清の時代に何度も増築がなされましたが、基礎になっているのは、康煕・雍正年間に作られたもののようです。1980年代に改装が行われています。

 そもそも普陀山が観音の聖地と見なされるに至ったのは、日本人僧の慧鍔が唐代に観音像を日本に招来しようとして、その観音像がここから動かなくなったため、奉じて観音の庵を作ったことが発端となっているとのことです。その慧鍔を記念して新しく作られたのが、この不肯去観音院の記念堂です。もともとも不肯去観音院は、普済寺に移り、その遺構が復興されて再び不肯去観音院となったのは1980年になってからのことだそうです。

 ここは日本のお寺が協力して建てたようで、日本の各地の観音菩薩の模像が数多く安置されています。この辺りは島の南部にあたり、周囲に海が見晴らせます。海は黄土色で、高台から望む海と島々の景色はなかなか素晴らしい。

 普陀山には奇岩が数多くありますが、特に有名なものが島を見下ろす稜線にある「磐陀石」です。観音菩薩が説法する場ともいわれてますが、微妙なバランスで岩が載っています。手で押したら崩れそうなほどです。むろん危険なので、人はこの岩の上には乗ってはいけないことになっています。

 心字石。巨大な「心」の字が書かれた岩です。縦5メートル、横7メートルの心という字は、どのような由来で、誰が書いたのかはよく分かっていません。

 香華街は普済寺の山門の正面の道を東に行ったところにある街並で、長さ300メートルあり、石畳の道がT字となって続いています。建立は清時代中期ですが古代風の街並があり、商店・祠・寺院が建ち並んでいます。

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