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1時間目 新谷真人さん、隈研吾さん北京での合同講演会など
担当:王小燕、高橋恵子
13日から愛知県春日井市役所知多公民館で「第10回北京放送・中国国際放送局 切り紙展」が開催されます。
リスナー歴30年の「愛知の直ちゃん」さんによる企画です。これまでCRI(北京放送)から郵送されてきた受信確認書を始め、切り紙、ペナント、手紙、雑誌など色々な品物、なかでも切り紙にスポットを当てた展示会です。お近くにお立ち寄りの方、ぜひご覧ください。27日まで行われています。
今週の「旬な話題」では、北京市が大気の重度汚染予報を当日や直前ではなく2日前に発表した話題を中心にお伝えします。
「スペシャル・バスケット」では、昨年末、北京工業大学芸術設計学院が主催した構造設計者・新谷真人さん、建築家・隈研吾さんの合同講演会と一連の交流活動を取り上げます。
北京工業大学設計学院の前身は、1958年に創設された「北京工芸美術学校」です。専門学校、短期大学を経て、2004年に北京工業大学に吸収されました。卒業生の中には国指定の工芸大師が20人数も出ていることが誇りです。現在は、環境芸術やビジュアル、ファッション、工芸美術など設計・デザインに特化したコースが7つ設置されており、本科生、大学院生を含め、在校生は1600人を数えます。
同学院の孫院長は、諸外国の大学や講師から一番学びたいことは、先進的な教育方法と理念だと言います。パソコンに頼りすぎるところがある今の学生に、設計・デザインは、「手、目、心と体験の結びつきこそ大事なのだ」ということをこの分野の大家の指導を通して、分かってほしいと期待を語りました。
講師のお二人が中国の大学生との接触で感じたこと、また、中国とのビジネス提携を初めて12年経つ隈さんが、この間の中国の変化をどう感じているか。詳しくはどうぞ番組をお聞きください。
2時間目 旅で日本と中国をつなぐ・橋本清一さん(上)
2015年は第二次世界大戦が終わって70年の年です。歴史を振り返りながら、心の和解を実現するにはどうすればよいのか。このような問題意識を抱えながら、旅行企画を通して中国と40年余りに渡るお付き合いをしてきた橋本清一さんに今週と来週、2回に分けてお話を伺います。
今回は橋本さんと中国語との出会い、1973年の初めての中国訪問などです。
番組収録前に、橋本さんは自己紹介の代わりに、ご自身と中国とのかかわりについて、以下の文面を送ってくれました。
「1973年の10月後半〜11月前半までの3週間初訪中し、香港で第一次石油ショックの実際を目の当たりにしました。訪中歴は、約400回で中国各省・自治区を全て回りました。
1965年当時高校2年生でしたが、すでに中国語を学んでいたクラスメートよりピンインで「草原情歌」の歌詞と曲を教わりました。それ以来中国との長いご縁が続いています。中国が好きですし歴史・地理も大好きなので、今後も中国を日本の若者に知らせることを追及していきたいと思っています。
これまで、日本各界の方々と中国の文化人など色々お付き合いさせて頂き、沢山の心に焼きついた事が有ります。多くの方が、鬼籍に入られましたがそれらの思い出は、昨日の事のようにしっかりと映像が浮かびます」
1960年代半ば、中国と日本はまだ国交正常化が実現していませんでした。果たして、当時の東京で、人々は中国と触れあう場があったのか、またはどのようにそれが実現できたのか。中日の民間交流の貴重なワンシーンが目に浮かぶ橋本さんの思い出話をぜひお聞きください。
【プロフィール】
橋本清一(はしもと・せいいち)さん
株式会社日中旅行社取締役を経て、長富宮飯店公弁管理部高級顧問。
社団法人日中協会評議員、日中友好宗教者懇話会理事、
埼玉県狭山市日中友好協会理事・事務局長も務める。
中国に精通し、長富宮公寓でも通史の会「クラブチャイナ」を主宰。
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