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段月萍氏:最も早期に「証拠を探した人物」

2014-12-08 14:26:35     cri    

 

 一人の女性にとって、50歳という年齢は起業に最適な時期とは言えないが、意外にも段月萍さんはこの年齢から2度目の「転身」となる事業を開始し、今年で31年目の春秋を迎えた。

 侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館の「創始者」の一人として、段月萍さんは多くの「第一回」をスタートさせた。81歳の彼女は現在も尚、この仕事のために忙しく働いている。

 日本の文部科学省の教科書改ざんに抗議し、南京大虐殺事件を中国人の記憶に刻むために、1983年末に南京市に「南京大虐殺」歴史資料編集、檔案館建設、記念碑設立指導グループを発足させ、具体的な事務を担当する弁公室を設置した。50歳の段月萍さんは、別の2人と共に、弁公室「3人グループ」を創立とうした。

 1980年代初期まで、中国国内の学界では、南京大虐殺に関する歴史研究が極めて少なかった。「手薄な」状況を考慮し、史料収集を担当する段月萍さんは、中国第二歴史檔案館、南京市檔案館、南京市図書館を毎日、往復するしかなかった。そこから、南京大虐殺に関連する計550万字、画像・写真200枚余りに及ぶ檔案史料120種類余りを探し出した。

 「生きた証拠」もとても重要だ。記念館建設前に、段月萍さんは5ヶ月にわたる南京大虐殺生存者調査の作業を主宰・展開してきた。彼らは登記表をデザインし、自ら受けた被害や自らの体験、目撃を選択基準として、何度ものスクリーニングを経て、1200人余りの生存者を確定した。

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