1937年12月、日本軍が南京を攻略した時、9歳だった常志強さんは父と弟を日本軍に射殺され、姉を強姦・殺害されたのを目の当たりにし、また胸に刺し傷のある母が喘ぎつつも2歳の弟に最後の一口のおっぱいをあげた後に死んでしまったのを目にした。常志强さんはあまりにも怯えて気を失い、これでやっと命拾いした。
このような経験は、生存者である常志强さんの人生をこれにより一変させた。
常志强さんが今住んでいる燕子磯化工新村から、1937年当時に居住した日本軍の虐殺に遭った場所である内橋王府園までは16キロメートルの距離しかない。しかし、常志强さんの4人の子供のうちこの時代の歴史についてはっきりと言える人は意外にも誰もおらず、この場所を知っている人も誰もいなかった。
戦争が常志强さんに残した全てが傷の痛みだと言うなら、この家族に残ったのは一種の「タブー」だろう。
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