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1時間目【チャイナエクスプレス】「天安門」にちなんだ秘話、国慶節の天安門広場
担当:高橋恵子、王小燕
中国の国慶節の7連休も今日が最終日です。今回は、新中国開国式典の舞台となった「天安門」をキーワードに番組を構成してみました。
1949年10月1日、毛沢東が「天安門」の城楼で「中華人民共和国の成立」を宣言しました。天安門もこの時から、新中国の誕生とゆかりの深い場所として、人々の印象に残っています。ところが、実は開国式典のわずか1か月ほど前までは、天安門にはまだ雑草が生い茂り、広場はゴミに埋もれ、荒れ放題でした。明や清の「紫禁城」南門だった天安門を、新中国の開国式典の舞台にすることは、新中国初代首相になる周恩来氏が華北軍区政治部に言い渡した任務だったのです。
わずか28日間で大変貌を成し遂げなければならない。実際に作業に取り組んだのは、政治部文芸工作団の舞台美術隊でした。この中の装飾デザインリーダー格の美術家は日本人の小野沢亘(1909-1995)と森茂(1914-1995)でした。中国の仲間たちと心を一つに合わせ、寝食をも忘れ献身的に開国式典の舞台づくりに取り組みました。
新中国の開国をめぐるこうした歴史は5年前に、新中国成立60周年記念に制作された映画『天安門』(葉纓監督)が上映されるまで、ほとんど知られていませんでした。北京在住の日本人学者山田晃三さんは、関係者の残された手記などの史料を探し求め、当時の歴史を再現しました(参照:http://www.mizunowa.com/soushin/omeme_file/peking_bn7-9.html)。
今週の番組では、前半は以上の秘話を改めてご紹介します。番組の後半は恵子アナが連休中、天安門広場にでかけました。マイクリポートでお聞きください。
2時間目「CRIインタビュー」(学校法人城西大学理事長・水田宗子さん)
聞き手:王小燕
今回は日本の「フェミニズム批評研究の第一人者」として知られ、城西大学理事長でもある水田宗子さんにお話を伺います。
9月初め、北京にある「中国伝媒大学」の主催で「第6回世界女性学長会議」が行われました。世界54の国・地域からの70人余りの代表者が出席しましたが、日本からの出席者はたった1人。それが水田宗子さんです。
大蔵大臣の水田三喜男氏を父親に、のびのびとした家庭環境の中で育ち、読書が大好きな文学少女でした。その後アメリカに留学しますが、当時はまだ「1ドル360円の時代」でした。博士号取得後に、アメリカの大学で教べんをとり、英文学を担当しました。自分が外国人であること、女性であることを発見させてくれたアメリカでの滞在は、水田さんの後の人生に大きな影響を及ぼしたと本人は振り返ります。
詩人でありながら、批評家で、学者、教育者でもあり、さらに、今は大学運営の仕事にも携わっています。そして、「結婚は2回、子育てもしていた」とプライベートに関しても朗らかに話してくださいました。数多くある仕事の中で、どれが本人にとって一番お気に入りの仕事だったのでしょうか。本音を聞かせてくださいました。そして、かくも多面的に活躍できた秘訣って、あるのでしょうか。
ところで、日本は「女性が輝く社会」と盛んに言われるようになり、女性の社会進出への注目が高まっています。一方で、最近の中国では一部若い女性の間では、むしろ「家庭回帰」の願望が高まっています。相反して見えるこの2つの方向が意味するものは何か。
今回は「性別/ジェンダー」をめぐり、「女らしさ」「男らしさ」の生まれた根源から、人間の理想的な生き方まで、時代の変化に対応できる教育の在り方などなど、何でも疑問に思っていることをそのままぶつけてみました。
【プロフィール】
水田宗(みずた のりこ)さん
1937年生まれ、比較文学者、詩人、学校法人城西大学理事長
東京女子大学文理学部英米文学科卒業後、米国イェール大学大学院でアメリカ学を専攻し博士号を取得。
アメリカの大学での教授経験を経て、1982年、城西大学短期大学部設立準備室へ参画、1983年短期大学部を開学。
1986年城西大学専務理事就任
1992年城西国際大学を設立(千葉県東金市)。人文学部教授
1996~2009年まで城西国際大学学長
2004年に学校法人城西大学理事長となり現在に至る。
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