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譚正岩:京劇は、私の宿命です。

2008-12-31 19:17:09     cri    

  

 譚正岩は、1979年に梨園の名門・譚家に生まれ、譚派(譚鑫培)老生の七代目の継承者であり、その役柄は文武老生(歌いと立ち回りを主とした老生の役柄)です。譚派老生の創始者である譚鑫培は光緒年間の一時期、大人気を博した役者でした。このことは、『同光十三絶』という京劇の名画で描かれた、唯一の「武生」だったことからも明らかでしょう。譚鑫培は、光緒16年5月25日(1890年)、清朝の皇室内に設置された「昇平署」に入り、西太后として知られる慈禧皇太后が個人的に後援した役者として公演を行いました。また、中国で初めて制作された映画で、三国志を題材とした『定軍山』にも、譚鑫培が出演しています。

 こういう歴史を持つ梨園の名門で生まれた譚正岩は、果たして幸運なのか、不幸なのか、それともその両方なのでしょうか――。初めて正岩の舞台を見る前、私はそんなことを考えていました。しかし、彼の演技はまさしく完璧で、そんな考えがどこかに行ってしまうほど私は圧倒され、涙さえこぼれてしまうほどでした。公演が終わると私は矢も盾もたまらなくなって楽屋に飛んでいきました。老生の化粧を落とした正岩は、端正な顔をした青年ですが、想像以上にやさしい人だという印象を抱きました。今日の演目である『浮生六記』は、「死んでも愛し、死んでも離さない」という思いを表した、とても悲しく、美しい物語でした。映像の表現テクニックであるモンタージュ技法を取り入れ、現在と過去が交差する、幻想的な舞台を見せてくれました。

 「初めてこの『浮生六記』の台本を読んだとき、どう思いましたか?」と私は切り出しました。

 「台本に書いてある意味がわからなかった」と、彼は笑って答えました。「何度も何度も繰り返して読んで、セリフを唱えていくうちに、なんとなくわかるようになった。」

 「正岩さんにとって、こういう死ぬまで変わることのない一途な『恋』を信じますか。」

 「信じてますよ。信じないと、演じられません」

 彼はふと、それまでの笑顔とはうってかわり、真剣な面持ちになり、

 「役者というのは、まず自分の演じている人物と物語を信じなければならないんです。自分も信じることができないのに、どうやって観客を信じさせることができますか?」

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