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田園詩人陶淵明とその詩

2009-01-13 11:24:20     cri    
 陶淵明は陶潜とも呼ばれ、紀元4世紀の東晋時代の詩人で、田園詩の創始者である。陶淵明は生涯貧しい生活に甘んじ、自らを厳しく追及した。自然を崇拝し、誇り高くて、素朴で、率直な性格は中国の歴代の文人が高く評価するものである。

 陶淵明の曾祖父は東晋を開国した元勲で、祖父と父親も官吏を務めたことがある。8歳のころ父親に死なれた陶家は次第に貧しくなった。少年時代の詩人は仕官をすることで出世しようとしていた。

 しかし、東晋は情勢が動乱の時代で、派閥抗争が絶えず、政治は非常に腐敗していた。純良な詩人は29歳で始めて政府の役人になってまもなく、役所の腐敗と不合理を耐えられなくなり、家に帰った。その後も、暮らしに追われて役人をしたことは数回あるが、ついに家に帰ったまま役所に出なくなってしまった。  

 ますます貧しくなる詩人は自分で田を耕して食物を作ったが、家族を食べさせていくことができず、41歳でまた政府の役人として彭沢県の県長となった。詩人が名利を捨て、有力者に頼ろうとしないことで、県長は80日間でやめてしまった。それから詩人は二度と政府の役人になろうとはせず、田舎に帰って隠居生活に入った。

 詩人の田舎での暮らしは非常に貧しく、44歳の時に家が火事に遭ったことで、一層貧しくなった。「夏日抱長飢、寒夜無被眠」の句が生活の苦しさをよく表している。しかし、詩人は精神の面ではそんなことには平然としていた。この期間は創作が最も豊かに行なわれた時期で、多くの田園詩が作られた。田舎の暮らしや田園の風景などが初めて重要な対象となり、詩に歌われ、田園生活は詩人によって純粋なもの、美的なものとされ、苦痛の多い現実からの避難所となった。

 陶淵明の晩年の暮らしは悲惨きわまりないものであり、食べものを乞い、食料を借りて食べる日さえあった。もっとも困難な時期に、朝廷の招きを拒否し、政治から逃避した。陶淵明は晩年に有名な散文「桃花源記」を書き、コートピアの社会を作った。漁師が間違えて桃源に入った。ここに住む人々は外の世界が分からず、純良な上、勤勉で、心配することのない平和な暮らしを送っている。この散文は美しい想像の世界であり、情勢が激動する時代に人々が安定した社会へ憧れる気持ちを表すものである。

 後世に伝えられてきた陶淵明の詩は百余首、散文10数編であるが、中国の文学史上で非常に大きい地位を占めている。陶淵明の東晋時代は形式主義が盛んであり、多くの人々は華麗な言葉や形式ばかりにこだわっていたが、陶淵明は田園詩という新しい題材による詩の世界を切り開いた。陶淵明の詩は古代の素朴な風格を引き継いでおり、しかも活気にあふれ、言葉が素朴で流暢であることで、詩の創作のレベルを新たな高さまで引き上げた一里塚となるものである。

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