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兵家の元祖――孫武

2009-01-09 16:35:50     cri    
 孫武(孫子とも言う)は紀元前6世紀に生まれた中国の偉大な軍事家で、その書いた「孫子兵法」は、中国古代の一番名高い軍事理論についての名作で、しかも世界に最も広範で大きな影響がある有名な兵法書でもある。孫武は、古今東西の軍事家が崇拝した『兵家の元祖』である。

 紀元前551年に生まれた孫武が活躍したのは、ちょうど諸侯が覇権を争った春秋時代(前722~前481)だった。孫武は斉の国の人で、19歳の時中国の東方にある呉の国に行った。呉の都(今の蘇州市)の郊外で兵法書を著すことに専念した。孫武は呉の国の大臣である呉子胥によって呉王に推薦され、自分の書いた兵法理論を13巻呉王に献呈した。呉王はその兵法を読んで、素晴らしいと思った。だが、孫武がそのような理論を実戦に応用できるかどうか分らないので、彼に女官の訓練を命じた。

 孫武は180名の女官を「左」と「右」の両組みに分け、呉王の寵愛を受ける二人の妃を女官の訓練を担当する「左」と「右」のリーダーに任命した。

 孫武は皆の前で訓練の要領をきちんと説明した。しかし、女官は孫武の号令に従うわけではなく、大騒ぎになり、隊形が乱れてしまった。孫武は再三にわたって警告をしたが、ルーズな女官を統制できなかった。だから、両組みのリーダーを死刑に処することに決めた。愛する妃を殺されるかも知れないので、呉王が許すように頼んでも、孫武は毅然と、軍紀に則って、この二人の妃を斬首した。それで、両組みの先頭に立つ女官をリーダーに再任命し、訓練をやり直した。今回、孫武が命令を出すと、諸女官は遊びもせず、後先も左右も、チャンと行い、そして、跪いたり、はいたり、転がったりし、各訓練では孫武の号令に従った。そのそろった隊形を見て、孫武の智恵を理解した呉王は、怒ることなく、孫武を将軍を抜擢した。

 孫武の厳しい訓練のおかげで,呉国の軍事レベルが格段に進歩した。それからの数年間、孫武は両代の呉王を補佐し、諸侯との戦争の中で絶えず勝利を収めた。

 紀元前482年、呉王は諸侯国の覇者地位を手に入れた。それは孫武の熱心な軍隊訓練と切り離すことができない。むしろ、孫武が否定できない巨大な貢献をした。

 呉国が日増しの強大になるにともない、呉王は段々自慢するようになり、忠告を聞きいれなくなった。さらに腹黒い大臣のお世辞を信じた。その状況をみて、孫武は密かに退官し、隠遁した。自分の軍隊訓練と作戦の経験に基づき、13巻の兵法をさらに完璧に訂正した。

 『孫子兵法』はただの13巻合計6000字から構成され、孫武の軍事思想の枠組みを全面的に体現した。後世に『世界古典第一兵書』、『兵学聖典』といわれている。この本の述べた兵法の思想と哲学思想が軍事、政治、経済などの幅広い分野で広範囲に利用された。

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