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【第7回中日インターネット対話】文字版
   2008-09-01 18:58:50    cri

 

<第二部 井村中国、メダル獲得まで>

 

■ この一年、中国選手の変化

 

燕:なるほど、このスポーツ選手同士の交流もありますし、本当に色んな人に、出会いの場を作ってくれたところが、確かに、オリンピックの魅力だと思いますね。

さて、今回の五輪で、中国のシンクロは新しい歴史の一ページを書きましたので、ここにシンクロの井村コーチにせっかくお越しいただきましたので、突っ込んでお話を伺いたいと思います。

井村さんは中日インターネット対話には、去年の629日に続いて、2回目のご出演ですね。前回は、東京のNHKスタジオと電話でつないで、お送りしました。

その時、井村雅代コーチは、中国の選手について、こうイメージを語りました。

 

録音

166センチの選手が一人で、それ以外は全員、170センチ代がずらっとそろっています。

美しく、逞しくなるのを目指して、頑張っています。

 初めて覚えた日本語が?だめ?でしたね。」

 

という話でしたが、あれから一年が過ぎました。この間、中国のシンクロ選手の変化をどのように振り返りますか?

 

井村:初めて中国の選手をともかく教え始めたころ、先ほどの前回のインタビューにもあったように、『背の高いきれいな選手だな』と思いましたが、いざ教える段になって、目の前にしたら、筋肉がなかったんですね。

 

燕:力がない?

井村:筋肉がない。日本では、シンクロという競技は、ほかの競技に比べ、すごく練習時間の長いスポーツです。なぜかというと、強くしなくてはいけない、技術を覚えさせなければいけない、それから芸術性を追求しなければいけない。そしてもうひとつ、あわせるという同調性がすごく必要だということで、非常に練習時間の長い種目ですが、その点、中国の選手は筋肉がないから、長い練習ができなかったんです。本当にこれスポーツ選手?と思いました。だから、実際にこの子たちに次の年のオリンピックでメダルを取らそうとしたら、まず練習しないとできない。まず筋肉をつけさせることが一番でした。

 

燕:食べさせるんですか?

井村:そう、筋肉をつけようとしたら食べさせること。

 

燕:寝ること?

井村:寝すぎでした。寝ることはもう十分でした。食べること、それからトレーニングすること。こういう風にして食べるんだよという食事の指導からはじめました。そして日本からトレーニングのコーチに来ていただいて、私はこういう体作りをしたいんだということを言って、彼に指導していただきました。後で聞いた話ですが、中国でシンクロ種目はダイエット種目だったそうですね。それが私が来て、急に食べなさいと言ったから、びっくりしたようでした。いままでダイエットだったのに急に食べろといわれ、すべてがすごく違ってたと、最後に言われましたが、筋肉をつけてから、それから練習を始めるというところから行きましたね。

 

燕:テレビでしか観戦していないのですけれど、本当に力強く、美しい演技を見せてくれました。やはり、こうした井村コーチの体重を増やそうというご指導があって、そして時間を掛けて練習したことが成果になって現れたものですね。ところで、長いトレーニングとおっしゃいましたが、どれくらいですか?

井村:一番きつい時は、朝8時から出て夜9時までですね。お昼は、今まで、昼寝は最低2時間くらい取っていたようです。私は「とんでもない事。昼寝は30分以内でよろしい」と言いました。中国の習慣とは違うようですね。長く寝さしたら、寝ぼけたまま練習に来るんですよ。それが日本のコーチとしては許せなかったです。「ちょっと、シャンとした顔で現れなさいよ!出てこれなかったら、寝なくてよろしい、30分くらい仮眠しなさい」、と。それで昼寝も惜しんで、それまで最低2時間もお昼寝していたのを、昼寝の時間が1時間半も減りました。お昼を食べる時間も入れて、2時間くらいだったから、それが一番きついところで、それでもたいていは、7時から8時くらいまででしたね。

 

燕:土日も返上で?

井:一応週一回、日曜日は休みにしていました。それで、休みの時に、個人的に引っ張り出して、「あなたは練習しましょう」と言いましたが、いやな顔をせずに、マン・ツー・マンで練習しましたね。

 

燕:李監督も、昼寝はよくないと思っていますか?

李:いや、中国の習慣に従いましたが、こっちは試合の一年ほど前に試合のスケジュールがわかるんですよ。それが何時に始まるとか、もし昼に始まるとわかったら一年くらい前から昼寝をしないとか。

 

燕:なるほど、それにあわせてわりと柔軟に対応していた、と。

李:はい。

井:でも、シンクロの場合は今回は、全部3時からの試合でしたね。だから、昼寝してる場合じゃないんですよ。全部3時から動くようにしてましたね。試合が早いかわりに、早く終わろうと。けれども、習慣がずーっとそれで10年くらい来ているみたいですから、試合が終わって、かなり苦しかったみたいです。試合が終わって、まあ、しっかり寝てください、という感じですね。

 

■ 選手からのメッセージ

 

燕 さて、一方、中国人選手の皆さんにとって、井村さんはどのようなコーチだったのか、9人の選手から井村コーチへのメッセージをお預かりしてきました。(以下は訳文)

 

■張暁歓さん(北京)

キャプテンの張暁歓です。

一年あまり、私たちを指導してくださり、幸せでした。先生のおかげで、中国代表のメダル獲得という長年の夢がかないました。先生は、私のスポーツ人生において、たいへん重要な人です。チームのリーダーとして、どうやってチームを引っ張っていけばよいのか、また、どのように仲間を励まし、どうすれば、チームの中心人物になれるのか、などなど、たくさんのことを教えてくださいました。井村先生のような素敵なコーチに出会えたことは、本当に幸せなことです。

個人的には、2002年プサンのアジア大会で、落胆して戦う意欲をなくした私に対して、先生から「Never Give Up」と声をかけられたことも、ずっと忘れられない思い出です。

帰国なさってからも、引き続き、私たちを見守っていただきたいです。またチャンスがあれば、ぜひ中国にいらしてください。私はこれからも、先生のことを思い続けます。先生の厳しい指導、色々親切にしてくださったこと、先生の朗らかな笑顔。いつまでも忘れません。

お元気で、いつまでも楽しく、幸せにお過ごしください。

 

■蒋文文さん(四川)

井村先生、ありがとうございます!

一年あまり、私たちを指導してくださり、とりわけ、私と妹は毎日、先生の後について、訓練を受け、色々な面で成長することができました。

先生から一番学んだことは、強い精神を持つことです。お蔭様で、日々、進歩を感じています。今回のオリンピックで、デュエットの試合が終ってから、チームの試合が始まるまでの2日間、ずっと私たちを慰め、励ましたり、冗談を言って笑わせたりしてくださり、ありがとうございます!感動しました。どうか、今回の別れは本当の別れではなく、今後も引き続き、私たちを指導してくださるよう祈っています。

 

■蒋婷婷さん(四川)

先生、ありがとうございます!感動、感激の思いでいっぱいです。お蔭様で、成果がありました。先生に教わったことの多くは、これまでに触れたことのない斬新なものでした。

また、技術面だけでなく、私たちに自信をつけてくださり、ありがとうございます。お蔭様で、平常心でオリンピックの試合に臨むことができ、いつも通りの実力を発揮することができました。

先生から教わったことは、生涯、私の人生とともにあることでしょう。感謝しています。

 

■劉鴎さん(広東)

先生の指導に感謝しています。お蔭様で、数多くの進歩を得ることができました。とくに私が病気の間、見捨てずに、ずっと見守ってくださり、感謝しています。

先生はシンクロを本当に愛する方で、全身全霊を込めて教えてくださいました。たいへんプロ精神の強い、仕事を愛する素敵な方です。帰国された後も、ずっとお元気で、楽しい毎日でありますよう祈っています。

 

■王娜さん(四川)

今、故郷の成都に戻ってきました。先生を見送ることができなくて、ごめんなさい。先生は私たちと違う国から来られましたが、皆、共通の目標に向かって頑張ってきました。数百日を一緒に過ごしましたので、私たちはとても仲良しになったと思います。

指導の時は、先生はほんとに厳しいコーチでした。つらくて、泣きたくなったこともしばしばでした。しかし、それでも、今日は、「ありがとう!心からありがとう!」と言いたいです。先生の指導のおかげで、やっとメダルが取れたのです。だから、心からありがとうございます!

チャンスがあれば、また先生とお会いして、一緒にいたいです。またぜひ皆でおしゃべりしたりしましょう。けど、練習はもう勘弁してくださいね。

 

四川で大地震が起きてから、力強く私たちを励ましてくださいました。外国人のコーチが、私たちと一緒に泣いてくださるとは、本当に考えもしなかったことです。心から心配してくださって、ありがとうございました。

どうぞ、帰国なさった後も、楽しい毎日をお過ごしください。またぜひお会いしましょう。

 

     黄雪辰さん(上海)

(日本語で)先生、こんばんは!私は、雪辰!(笑)

教えてくださったことをずっと忘れません。一緒に過ごした日に感謝しています。そして、本当にお疲れ様でした。私はいつも先生にいたずらをして、困らせていました。ごめんなさい。

私は一番年下なので、先輩たちのように、物分りがよくありません。反応できずに、いつまでもできない時もありました。しかし、それなのに、本当に根気良く付き合ってくださいました。

先生から学んだことで、一番私のためになったことは、粘り強く頑張ること、そして、絶えず自分を超えることです。本当にありがとうございます!

 

     羅茜さん(広東)

ナショナルチームでの訓練はとてもたいへんなものでしたが、毎日、充実していて、楽しかったです。先生に感謝しています。また、チャンスがあれば、お会いしたいです。いつまでも先生とお付き合いしたいです。

先生は技術を教えてくださっただけでなく、問題が起きた時、他人を責めたり、責任逃れの態度で臨むのではなく、自分自身から理由を探して、自分を変えてこそ、進歩が早いことを教えてくださいました。

先生は指導する時、ほんとに厳しいコーチでしたが、それ以外の時間では、本当に私たちの中に溶け込んだ優しいコーチでした。先生から言われた「お愛想笑い」と「人とあう時は必ず挨拶をする」ことは、最初は照れくさくて、なかなかできませんでしたが、今は、自然にできるようになりました。

 

■顧貝貝さん(北京)

(日本語で)私は井村先生の選手です。

先生は、私たちにシンクロのみならず、人としてのあり方や、仲間との付き合い方なども教えてくださいました。一年半あまり、私たちは目標のために、一緒に頑張ってきました。人生は豊富多彩なもので、困難を前にし、しり込みしてはならないことを教えてくださり、これは私にとって、一生の財産になりました。

先生に昔、手紙を書いたことがありました。その手紙の一言一句に、私は心から先生に対する尊敬の念をこめました。帰国なさってからもずっと私のことを覚えていてください。私たちと一緒にいた時間をどうぞ、微笑みながら、思い出してください。もしも私のわがままで、先生を怒らせたことがあれば、ここで、改めて心から「ごめんなさい」と言いたいです。

チャンスがあれば、ぜひ日本に行って、先生とお会いしたいです。そして、来年、私の結婚式にぜひ出席してください。ありがとうございました。

 

■孫萩亭さん(上海)

(日本語で)私は井村先生の選手です。

井村先生、私の選手人生に、オリンピックの銅メダルを添えてくださり、ありがとうございます。オリンピックが始まる前までは、これは考えてみる勇気すらなかったことでした。

中国代表の全メンバーの中で、シンクロに一番情熱をかけた人は、先生だったのではないかと思います。20代の私たちも顔負けでした。

先生が教えてくださったのは、シンクロナイズドスイミングの技術だけではなく、私の人生への見方も変えてくれました。これは私の一番の宝です。

(日本語で)井村先生、ご機嫌よう。また中国へ、来てください。

 

■エピソード:「私は井村先生の選手です」

 

燕:素敵ですね。感動的なメッセージに、うるうるしてきました。

それにしても、どうしたのですか。「私は井村先生の選手です」、皆さん、上手でした。

井村:(笑)この言葉には理由がありまして、実はシンクロの選手は日本の北島君が大好きで、私に「先生、私、北島君と写真をとりたい」と、北島君のサインがほしいというんですね。それなら、北島君に会ったら、「私は井村先生の選手って言いなさい」って。「北島君は私のことをよく知っているから、そうしたら、もしかしたら写真を撮ってくれるかも」ということで、皆が、「私は井村先生の選手です」と、部屋の中で一生懸命練習したんです(笑)。

そうしたら、本当に、ベイベイとティンティンが北島君が食堂を出たところで会ったらしくて、「わあ」と走って行って、「私は井村先生の選手です」と言って、カメラを出して、写真を撮ってもらったんです。「成功したあ」って、写真を持って帰って来ました。私に「これは最も大切な言葉だ。絶対、忘れてはいけない言葉」。「私は井村先生の選手です」、と。それで、皆が覚えてゆこうって言って、北島君が一緒に写真を撮ってくれると言って、何回も何回も部屋で練習していました。だから、皆が上手になりました(笑)。

 

燕:なるほど、「蛙の王様」のために、覚えたのですね。

 

■ 教えたかったのは、精神力

井村:今、選手たちの言葉を聞いて思ったことは、やっぱり中国語がちゃんとできなくて、言葉が通じないと。

私は指導の時、通訳の方がいらっしゃるので、その方に頼っていますし、中国語と日本語と英語でばらばらで喋っていますから、本当に自分の言いたいことは伝わっていないと思っていましたけど、伝わっていました。やっぱり技術を教えるんじゃなくて、その精神を教えたかったので。

最後の戦いは、多分、李監督も思われると思いますけど、このオリンピックの戦いは、最後は、技術もありますけど、精神力なんですね。そういう意味で、あの子たち、ちゃんと私の言いたいことを分かってくれたなというのは、今聞いてそう思いました。「分かってくれたんだ」「よかった」と。一番大切なことは、「どういうふうな気持ち、どういうふうな考え方」ということ。それが伝わっていたということが、今選手の話を聞いて分かったので、良かったと思います。

 

姜平:ミックスゾーンでは、井村さんがいつも、笑顔で選手たちを迎えていたことが、印象に残りました。井村コーチのお陰で、双子の選手、文文ととティンティンもほんとに強くなったようですね。

井村:彼女たちは、世界一の足、素晴らしい選手なんですね。だけど、彼女たちの一番弱いのは精神力だったんです。初めて、二人を教えた時、本当に自信がなさそうで、私は、「貴方達は世界一の足なんだよ」、「私は長い間コーチしてきたけど、一番素晴らしい選手なんだよ」って、ほめてあげました。そしたら、ティンティン、文文は、「先生はあんなに褒めたんだけど、本当なの」と、通訳の白さんに聞いたことがあるようです。

「先生はあんまり褒めない人だから、ほめたら本当」って、白さんは言ったそうです。その自信のない子は、18ヶ月の間に、すごく自信を持って、オリンピックの舞台に立ってくれました。やっぱり、良い成績もいいですけど、自信のない子が自信をつけていく、そのプロセスに関われたということは、やっぱりコーチ冥利につきますよね。

 

姜平:文文、ティンティンたちの足技は、普通は四人でしかできないものを、二人でやり遂げましたね。

井村:私が選手たちの振り付けをする時に、気をつけることは何かと言うと、この選手しかできないことをしてやろうと、それしか思っていないんです。「誰でもできることを真似したら、負ける」と思っているんで、こんな長い手足と、こんな綺麗な足と、そして、この柔らかい体をどうかして見せて、誰も真似できないものを作ってやろうと思って、やってみたら、できたのです。その選手でしかできないことを考えてやる。それを引き出すのは、コーチの仕事じゃないかと思うんです。

 

姜平:さて、選手たちに話を聞きますと、口をそろえて、「厳しいコーチ」だと言っていましたが、しかし、それ以上、悪口にはなりません…

井村:オリンピックの前に、彼女たちに言ったのは、メディアで私のことを聞かれたら、必ずほんとうのことを言いなさい、と。嫌いなら嫌いと言ったらいいです。「きついならきつい」、と言ってもいいから、何言っても良いと言ったんですね。まあ、中国の先生とコーチの中、外から違う風を吹き込んであげたことは、事実だと思います。たぶん、こんなにしつこく練習するコーチには会ったことがなかったと思いますね。ナナさんは、「練習はもういや」と言ってましたけど、実は何回も泣いています。

 

燕:選手が泣き出すと、少しは手柔らかくなったり、教え方を変えたりしますか。
井村:ならないです。泣いたのは、私が注意していることが本人が出来ないから、悔しくて泣き出すんですね。  

自分が変えれない。同じことをこうしなさいと言っても、やっぱり、今までついてきた癖を変える勇気がいるんですね。それを変えなかった。「なぜ変えないの」と、徹底的に言うんです。泣いている子がいたら、理由を説得して、泣くのが収まるまで、私は絶対許さない。絶対許さない。これは、日本でも中国でも一緒です。

 

姜:試合が終わった後、文文、ティンティンたちに「一番食べたいものは」と聞いたことがあります。「試合が終わったら、井村コーチはもう何を食べてもよいとおっしゃっているので、火鍋を食べたい」と言っていました。やはり、食べ物の管理もしっかりしているのですか。

 

井村:そうです。好きなものよりは、あなたたちは選手として、力になるもの、試合のときは、エネルギーになるものを食べなさい。好きなものばかり、食べてはならないと言いました。

 

■試練の48時間

 

燕:さて、819日、デュエットの試合で中国代表は、史上最高の成績、第四位に食い込んだにもかかわらず、惜しくもメダルを逃しました。その二日後に、チームの試合が始まつた訳ですが、この二日間、何があったのか、先生内心はどうだったのか、知りたいです。テレビの画面では、変わらない素敵な笑顔でしたが…

 

井村:演技が終わったら、必ずコーチが映るじゃないですか。それは長い経験で知っていますから、デュエットが終わった時、笑っていますけど、心の中は、「もう、最悪」みたいな感じでしたね。でも、それは、やっぱり国際的なマナーとしてだめだと思うので、実は、笑顔は作っていますげと心の中はとんでもないです。『私が思っていたものと違う』と思っていました。デュエットが終わった後のあの笑いこそ、私のお愛想笑いです。

 

燕:デュエットの結果が、チームの演技にも影響が出るのではないかと心配していたのですね。

井村:

【目標達成にいたらず、自分が許せなかった】

というより、デュエットが終った後に、私は「とにかくメダルを取りたい」。もう、それしか言ってませんでしたから。本当にありがたいことに、「4位になっても、中国の歴史に残る最高の成績だ」と言ってくださったし、中国のシンクロの関係者の方も私のところに来て、「大丈夫、先生。4位だって、立派。前のオリンピックは7位だったんだから。すごい素晴らしい成績ですよ」、と私に言ってくださったんです。けれども、私は自分が自分で許せなかったですね。私は、ともかく中国にメダルをもたらしてあげたいという、その目標で来たのに、目標が達成できなかったから、許せなかったんですね。

選手の様子を見てたら、四月のプレオリンピックの時は、メダル圏内にティンティン、文文は入ってくれたから、自分達も行けると思ったけれども、本当に行けなかった。そうしたら、皆、無口になったんですね、選手たちが。チームの選手も。

でも、私は切り替えだけは、誰より早いと思います。落ち込んで考えても、出た結果は覆ることが出来ない。4番だったデュエットの結果は、どういうふうにしても、3番になれるわけはできないじゃないですか。こんな無駄なことを考えないというのは、私の方針です。これは考えても無駄、終わったんだから  終わり。でも、まだ私達にはもう一つ「チーム」があると、考えを変えたんですね。

 

【さあ、練習だ!一人にさせない】

それで、デュエットの試合が終わったら、「さあ、練習しましょう」、と、サブプールで練習を始めたんですね。「さあ、さあ、皆さん練習しましょう」。もう、スピンのできないベーベーとかつかまえてやりだしたんですね。そして、選手村に帰って、食事を取って、「さあ、今からランドドリルをしましょう」。陸での音合わせがあるんですね。「さあ、やりましょう」、と。

部屋でこもっても、皆が色んなことを考えるじゃないですか。今、見てきたデュエットの試合のことを思い出したりして、取れるはずのメダルが取れなかったみたいな気持ちになるし、「チームは、大丈夫かな」なんて思うから。こういう時、離してはいけない。1人でいてはだめなんです。色んなことを考えたんです。皆で行動したほうが、それが、一番楽です。人間が一人にされて良い時と、一人にされると怖い時があります。そして、選手村の一番、人が通っているところに出て来て、カセットとMDを持っていって、ランドドリルを始めたんですね。

 

それで、皆が写真を撮ってくれて、手をたたいてくれるんですね。それで、見られることは恥ずかしくないんだ、みたいな自信をつけさせるためにそういうことをして、そして、一人一人がデュエットがメダルを取れなかった落ち込みがあるから、わざと一緒に行動をさせたんですね。何々しましょう。何々しましょう。多分そのとき真っ暗でしたから、8時ぐらい、もっと過ぎていたかもしれない。ずっと練習して、部屋に帰ったらもう寝るだけ、というくらいまでやっていました。

 

そして、その次の日、21日だけはシンクロの休みなんですけど、これは、自分のコーチ哲学なんですけど、「選手を支えるのは、練習しかない」と思っていますから、朝8時に、国家体育総局のセンターに出向いて、本気で練習しました。そして、バスに来てもらって、行こうとしたら、ロシアも車をチャーターして、違うプールに練習に行きました。どこかのプールをチャーターしていたようです。それで、トレーニングセンターに戻って、12時半くらいまでやったかな。もういつも通り。多分、中国のコーチたちは、ドキドキしていたと思います。こんなオリンピックの最中に、こんなに練習させるのはいいかと。

 

燕:体力を使ってしまいますものね。それは心配はしていませんでした?

井村:体力なんか使ってもいいじゃないですか。気力で、あと一本や二本泳げばいいじゃないですか。もう体力がなくても、これだけ長い間練習してきたんだから。あと二日、1日に一本ずつは泳げますよ。大丈夫。それに、私よりは若いので、寝たら直ると。

 

燕:もし、デュエットでメダルが取れた場合は?

井村:練習しないです。さっさと帰ります。さっさと、「良かったね。このままいきましょう」って。調子のいいことを言ってたと思います。

 

【練習に徹し、流れを変える】

燕:やっぱり、メダルがとれなかったので、選手たちへの心理的な影響を和らげようと考えたのですね。

井村:流れを変えようって。試合というのは、どんな試合でもそうですけど、試合の流れを変えるのは大変です。うまく行ってる時はいいじゃないですか、そのまま。だから、それを止めたらだめ。うまく行かないときは流れを変えなければいけないわけですよ。そのためには何かをしなければいけない。選手には色んなことをさせて、午前中は練習しておいて、また、午後からは水立方で公式練習をしたんですね。その代わり、選手たちにそうさせたけど、私は考えました。明日の朝、どうしたら、この子たちが本当に力を出して、怖がらずに泳いでくれるだろうと。メダルがないじゃないかと頭の中でちらついている選手たちに、どうしたらそれを吹っ切って、チームは別と考えてくれるか、もう一度試合をやり直して考えてくれるか。考えましたね。考えた。

 

【ある力を出させる】

シンクロ関係者、水泳関係者、体育総局の方も皆が私を信頼して、先生に任すと言われたから、私には相談相手が誰もなかったんです。自分で考えた。いっぱい考えた。だから、眠れないです。寝てないです。多分食べてないです。ずっと、いつが夜なのか、いつが昼なのか分からないぐらいに考えました。

大変は承知の上。試合は18日から23日まであるけど、試合の日程は、どの競技もうまくいくはずがないんです。そんな時があるに決まっている。それが試合。オリンピックですよ。だから悩んで、考えて、考えて、考えて、寝ないで考えて、私が出した結論は、『そうだ!823日、選手のある力を出させてあげるんだ。敵が3回まわったから、こっちが4回まわる、そんなことは出来ない種目なんだ。彼女達の最高の力を出さすこと』。もう、それしか出来ないです。それだけに徹しました。そうしたら、ロシアも日本もスペインもカナダもアメリカも何も気にならない。だから、ほかの練習を見たことがない。ともかく選手を捕まえて、この子の今の力を出さそう、出さそうと、それしか思わなかったです。

 

【プレッシャーは、とことん感じればよいもの】

だから、よくあるんじゃないですか。「プレッシャー感じましたか」、とか「プレッシャーをはねのけるには、どうしたらいいんですか」、とか。そんな質問。プレッシャーを感じたら、もっとプレッシャーを感じたらいいんです。いっぱいプレッシャーを感じたらいいんです。とことん感じたら、なんの解決にもならないということが気づくはずなんです。それは何か。プレッシャーを感じてもなんの役にも立たない。今の自分の力を出す以外にないんだという、そこまで悩めばいいんです。それを、プレッシャーを感じない方法は何かと考えるんじゃないですか。あれは違うと思います。

 

【選手を送り出す:ここはあなたたちの家なんだから】

それで、試合の当日の8時頃には、「よし、この子たちに力を出さそう」。そこまで考えて結論を出したから、その試合の時には、練習の時から彼女たちをワァーともちあげて、良いところをいっぱい言ってあげて、最後、彼女を送り出す時に言った言葉は、「この北京は、あなたたちの家なんだから、皆が守ってくれるから、大丈夫!家なんだから。自分の力を思い切り出してごらん」という言葉で送り出したんです。それでも8人いたら色んな子がいるじゃないですか。いたずらっ子の雪辰のようなもいるし。1718の子もいて、オリンピックの経験もないし、初めて試練の大会じゃないですか。試合前に泣き出してしまい、彼女には母親になってずっとついていてあげました。顔を見て、この子は「加油」という子もいれば、ティンティン、文文みたいにいつも頑張りすぎているので、失敗する子もいるから、「貴方は"不能加油"だよ」。順番で、顔を見て、この口は色んな役をしました。そして、最後は、「ここはあなたたちの家だから、皆を知っていて、応援してくれるから」、と選手を送り出しましたね。もしかしたらペテン師かも()。ペテン師も詐欺師もコーチをする()

 

李:すごく同感です。怒っている時は、本当に怒っているのか、怒っていないのか、分からない。他の人から見れば、すごい顔をしていますが、心の中では、他のことを考えている。それは監督の芸術です。

 

■録音<井村さん:中国代表ヘッドコーチを引き受けた理由(07年ネット対話から)>

日本の技術を敵国に売るというコメントも出ていたと思います。それに対して、私は今の国際化された時代に、この考え方は正しいとは思わないです。そして、自分のこと、色んなことを非難された時に、私は人の道に外れていることをしているのだろうか、と考えましたけど、私はしていないと思います。国際化された世の中ですから、国際交流は大切なことです。これはやはり、受けて、自分の力が役に立つのだから、正しいことだと思いましたので、色んな意見があるけれども、それも聞いた上で、私は正しいと思って、中国チームの指導にあたることに迷いはありませんでした。

中国側が言ったことは、私たちは北京五輪で、メダルを取りたいのだ、と。種目は何でもよい、メダルの色も何でもよい。ともかく、北京五輪でメダルを取りたい。その時、私立ちは頑張りたいけど、経験がないので、あなたの経験とすばらしいコーチ力が私たちは必要なのだと、言われました。

失敗が許されない、自分の開催国のオリンピックで力を貸してほしい、と日本のコーチに言われたら、やはり、今まで世界でメダルを取り続けてきた日本が、シンクロの中で世界をリードしてきた自負があるなら、これは断ったらだめだろうと思いました。あえて政治的なものもある中で、私たちに力を貸してくれと言ったら、それは貸さなければならないと思う。自分たちがやってきたことが中国の役に立つのだと、それが、まわりまわって結果として、日中友好に結びつけた、そんな素晴らしいことはないと思ったのです。逆に、そういう良い結果に中国の選手たちを最後に導くことができれば、それは私の手柄ではなく、日本のシンクロのコーティング力の手柄だと思うのですね。

 

燕:現在、改めて振り返って、気持ちはどうですか。

井村:あんなにはっきり言ってよ良ったのかな、と。ほんとうにその目標が達成することができて、本当に中国にメダルを残してあげることが出来て、良かったなって思っています。

 

燕:井村さんは、これまで数多くの選手を指導して、メダルを獲得してきました。井村さんの人生で、今回のメダル獲得は、どんな意味をもっていますか。

井村:毎回、選手たちが表彰台に立ったときに、色んなことを思い出すんですね。今回、表彰台に立った中国の選手を見たときに、選手たちは満面の笑顔で、登ったんですけど、それをすごく冷静に見てた自分がいて、「あ、私は目標を達成した、ちゃんと仕事をすることが出来た」って。中国側の要請に私は応えることが出来たんだって。

あの表彰式の中国の選手の姿を見ながら、すごく達成感に浸っていた自分がいるんですね。だから中国人の選手たちが3位になったときは、すごく泣いてたんじゃないですか。実は、私は別に、涙も流れなかったんです。私は目標を達成できたという達成感だったんですけど、それが、表彰式が終わった後に彼女たちが急にメダルを私にかけてくれて。その時、もうだめでしたね。もうびっくりしちゃって、そんなことをしてくれると思わなかったから。一人一人、日本語で、「先生ありがとう」といいながら、全員メダルをかけてくれたんです。メダル、重かったです。

 

  オリンピックの期間中、ちょうどお誕生日だったようですね。

井村:「誕生日の時、先生にメダルをかけたい」って、かけたいと言うと、取らなければかけられなかったですね。でもそれを実現くれました。

 

■日本からの視線

燕: 日本がチームでメダルを失った事に対して、日本からの「視線」をどう感じていますか。

井村:北京にいますから、何も感じていません。でも、日本に帰ったらやぱりに徐々に感じると思いますけれども、色んな想像はできると思います。これはスポーツですから。強いものが勝ち、弱いものが負けるってということだと思うんですね。はっきり言って、デュエットはやはり私は日本は強かったと思います。ティンティン、文文は勝てるところまで来ています。でもやっぱり経験とかいろんなものは足らなかったと思います。スポーツで強いというのは、技術だけじゃなくて、精神力、色んなものも加味して強いということですから、だから、日本がメダルを取れなくて、中国は取れたからって、そんなことはなんとも思っていません。やっぱり、メダルを取れなかったら悔しいじゃないですか。そしたら、また次、立ち上がったら、ぜんぜん私気にしていません。それがスポーツだと思っています。それがスポーツの良さだと思います。

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