ーー日本華僑華人聯合総会の曽徳深会長へのインタビュー
今年は中日国交正常化35周年にあたり、中日文化スポーツ交流年でもあるということで、その友好ムードがさまざまな分野に反映されています。経済の世界でも中日協力プロジェクトや中日交流のイベントが盛んに行われています。そのうち、最も注目を集めたのは14日、神戸で開幕し、中国系の企業経営者が一同に会した世界華商大会です。
世界華商大会は1991年に発足し、2年に一度開かれており、今年は九回目です。華商大会では、世界各地で活躍している華商、つまり中国系の企業経営者が一堂に会し、グローバル経済の発展や、華僑・華人経済の活性化、開催国の経済への貢献などについて話し合います。
今回の華商大会のテーマは「和」です。中国人にとっても、日本人にとっても、「和」は深い意味が込められた言葉です。『以和為貴(和を以って貴しと為す)』を提唱した聖徳太子が遣隋使を送ってから1400年が経った今年、アジアと縁の深い神戸、大阪で世界華商大会が開催されたことは、中国人と日本人の相互理解をいっそう深めることになるでしょう。
一衣帯水の隣国であるものの、近くて遠い存在、とよく言われる中国と日本。在日華僑華人の歴史は隋や唐の時代に遡ります。その時期、日本は仏教によって国を治める方針を決め、遣隋使や遣唐使を派遣して、中国から鑑真和上などの僧侶も招きました。その後、千数百年に亘る交流は、19世紀の後半になると、日本の開国によって、横浜、長崎港に続いて、1868年の神戸開港へとつながります。開港に伴い、上海から移り住んだ華僑により近代的な商業が伝えられ、居留地に近い場所に伝統的な中華街が形成され、日本社会へ様々な影響を与えました。
1900年の前後、欧米列強の包囲の中、日本独自の近代化モデルがアジア諸国の共感を呼び、清の時代の中国から、大勢の中国人が日本を訪れ、学び、働き、定住する人口が年々増え、1930年には3万人を超えました。そんな中、日本産業に投資する華商が現れ、彼らは中国の近代化を志す孫文の革命事業を日本各界の有識者と共に支援し、地元農民のために灌漑用の池を掘ったり、慈善事業に取り組んだりもしました。
この100年の間に、中国では、何度かの日本留学ブームが起きましたが、1970年代後半の改革開放政策により、多くの中国人が海外へ出るようになりました。ちなみに、改革開放政策を実施する前から日本に居住する華僑を「旧い華僑(老華僑)」と呼び、1980年代以降日本に住むようになった華僑を「新しい華僑、新華僑」と呼んでいます。
20数年前、中国が改革開放を国策として以来、多くの若い中国人や留学生が日本に行き、先進的な科学技術や新しい経済知識を学びました。その後、彼らの中から、会社を興して日本経済発展の一翼を担うような事業展開を繰り広げる経営者が次々と現れています。一方、中国の経済発展に伴って、海外に事業を拡大する意欲のある中国企業が続々と日本に進出しはじめました。
勤勉で専門知識を身につけた華僑華人が会社を作り、日本経済に新たな活力を注いでいます。特に飲食業や食品貿易では、華商が先頭に立ち、自らの努力によって地域社会から大きな評価を得ました。
経済生活が豊かになり、ゆとりを持つようになった今日、在日華僑華人にはどんな悩みごとがあるのでしょうか。実は、いま、日本には5つの中華学校しかありません。これでは絶えず増えつつある在日華僑華人の子供の教育に、対応することはなかなか難しいということです。実は曽会長をはじめとする日本華僑華人聯合総会は華僑華人の子供の教育問題にずっと注目しており、中華学校の拡張計画や、新学校の設立など、いろいろと取り組んでいます。華僑華人の次世代の教育問題は異国で暮らしている華僑華人だけの問題ではなく、中国政府や居留国の社会各界からも注目される必要があります。
日本生まれ、日本育ちだが、心は依然として中国人。国を越えて、人と人との関係を重視し、時勢に左右されず、日本人との相互理解、交流の意識、つまり「和の心」を定着させる努力を続けている在日華僑華人。彼らは中国、日本、アジアのみならず、世界への新たな貢献を捧げる熱意に溢れています。世界華商大会を機に、国際経済の繁栄を目指す波はアジアを発し、アメリカ、ヨーロッパをめぐり、再びアジアに戻り、きっと中国や東アジアの発展に大きな役割を果たすでしょう。
では、在日華僑華人の歴史や生活の現状はどうでしょうか。中国と日本との交流の先頭に立っている在日華僑華人は、祖国の中国と第二の故郷の日本との関係をどう見ているのでしょうか。先月、横浜中華街で、日本華僑華人聯合総会の曽徳深会長にインタビューしました。詳しくは9月14日初放送、15日再放送の経済スクランブルをお聞きください。(取材/劉叡琳)
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